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 平成があと4カ月で終わる。「西高東低」といわれた1980年代を経て、平成に移ってからの関西の美術はどんな時代だったのか。

 若き日のヤノベケンジさん、やなぎみわさんらが作品を発表し、数々の“伝説”を生んだ京都のギャラリー「アートスペース虹」のオーナー・熊谷寿美子さんと、大阪中之島美術館準備室長の菅谷富夫さん、甲南女子大学教授の河崎晃一さんの3人に、それぞれの立場から振り返ってもらった。

「この画廊は苗床」 「アートスペース虹」オーナー 熊谷寿美子さん(78)

 アートスペース虹がオープンしたのは、81年8月8日。大阪にギャラリー白さんや、番画廊さんができた2年後です。周囲にもたくさんギャラリーがあり、例えると、麗しい棚田が広がり、たくさんの方が見て回っているような環境でした。

 20平米ほどの小さなスペースで、インスタレーションのしやすい場所だったと思います。泊まり込んで展示をした人も、何人もいました。90年夏には、ヤノベケンジさんがここで「タンキング・マシーン」を発表しました。卵形のタンクの中に2トンの生理食塩水が入っていて、その中で瞑想(めいそう)するというもの。案内状には「より楽しみたい方は水着を持参ください」と書いていて、まさかそんなに来ないだろうと思っていたら、連日水着を持った人がたくさん来た。水は毎日入れ替えていたんですが、すぐにはたまらないので、ヤノベさんが水道の蛇口を開けて帰り、たまったころに私が水を止めていました。93年にやなぎみわさんがエレベーターガールの作品を発表したときは、宅配のピザを届けに来た人が、本物のエレベーターと間違えて作品のボタンを押すなんてこともありました。

 作家は、誰もがすぐに活躍できるスーパースターばかりではない。苗木に水をやるように、見守られて育つ人もいる。私は、この画廊は苗床だと思ってやってきました。気に入った作家がいたら、ぜひ作品をコレクションしてみてほしい。見守ってくれる人の存在が、作家にとって励みになります。作品を買うことの敷居を下げたくて、08年ごろから「カレンダー展」をやっていました。いろんな作家に統一の用紙に作品を描いてもらうもので、千円の作品からありました。

 昨秋亡くなった堀尾貞治さんに…

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