昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかった。近しい人が保管していた。直筆を知る歌人も本人の字だと認めた。「宮内庁」の文字が入った罫紙(けいし)29枚、裏表57ページ。鉛筆でつづられた歌が少なくとも252首確認できる。欄外に注釈や書き込みもある。まとまった状態で直筆の文書が公になるのは初めて。専門家は「人柄を深くしのぶ一級の史料」としている。

 保管者は匿名を希望しており、今後、研究機関など適切な場所に原稿の管理を委ねることを検討している。朝日新聞は保管者らへの取材を重ね、1月7日で昭和天皇逝去から30年となる節目を前に、昭和天皇の歌を研究する所功(ところいさお)・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)に協力を求め、共同で確認、分析した。昭和天皇の歌の晩年の相談役で直筆を見たことのある歌人の岡野弘彦さんに筆跡と内容を、昭和史に詳しい作家・半藤一利さんにも内容を確認、評価してもらった。

 その結果、筆跡、文体、内容から29枚はすべて昭和天皇によるもので、1985(昭和60)年ごろから病に伏す88年秋までに書かれたとの判断で一致した。

 所さんの調査によると、昭和天皇の歌は宮内庁侍従職編の歌集「おほうなばら」や、宮内庁の「昭和天皇実録」に計870首が掲載されている。今回の原稿には、それらに掲載済みの歌の推敲段階とみられるものが41首、未掲載のものが211首含まれていた。

 題材は、戦争や家族、地方訪問など多岐にわたる。

あゝ悲し戰の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり

 これは昭和天皇の最後の公式行事となった88年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌で、約310万人の国民が亡くなった先の大戦への思いが「あゝ悲し」と表現されている。

 86年4月29日の85歳の誕生日にあった在位60年記念式典の際はこう詠んだ。

國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな

 大元帥として開戦や敗戦を宣明した昭和天皇。60歳の時に「われかへりみて恥多きかな」、70歳では「かへりみればただおもはゆく」と歌に詠んでおり、通底する思いがうかがえる。

 原稿の欄外には「この義式は國の行事なれどこれでよきや」と記されていた。

「筆者は本人以外あり得ないだろう」

 〈所功・京都産業大名誉教授の話〉

 これまで側近の日記などは公表されてきたが、ご本人の直筆の原稿が公になるのは初めてで驚きだ。まとまった状態で大切に保存されていたことは素晴らしい。筆跡は昭和天皇の署名と矛盾なく、「きさきは皇后のこと」などの表現、記述の内容からも、筆者は本人以外あり得ないだろう。私の知る保管者と昭和天皇の関係からも疑いようがない。

 推敲段階の和歌には平和や国民、家族への深い思いが率直につづられ、人柄が改めてしのばれる。几帳面に旧字体を使い、武骨につづられた文字にも人柄がにじみでている。

 在位60年記念式典の「はづかしき」という1首からは、国家国民のために尽くす自らの役割を自問自答しておられることが推察される。1929年に張作霖爆殺事件を巡って田中義一首相を叱責(しっせき)し辞任に追い込んだ事件から、立憲君主として自らの言動を律した昭和天皇は、戦後、その抑制的な態度が「戦争を止められなかった」と批判されることになる。還暦、古希の時の歌と合わせて考えると、国民のために務めを果たせてきたのか、生涯にわたり深い内省の中にあったことが伝わってきて胸に迫る。