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 小さな島を思った。

 瀬戸内海に浮かぶ周囲1・6キロの島。岡山県の黒島のことを。

 「島民が、たった1人になりそうだ」と聞いて訪ねたのは、朝日新聞岡山総局の記者だった時だ。それから7年。「人口減」をテーマにした取材チームに加わった。

 下調べに、島を管轄する瀬戸内市役所に電話をかけた。黒島に1人で残っていた方は、まだ住んでいますか。

 「この秋に本州側に引っ越したようです。いまは無人になりましたよ」

 黒島はどのような姿になったのだろう。2012年1月7日付の記事に、こう記している。「人の気配を失って、原始の姿に戻る島」。それが、さらに進行しているのだろうか。

     ◇

 黒島は本州からわずか1・5キロ。すぐそこ、に見える。小舟をチャーターして5分。島におりたつと、木の桟橋がきしんだ。

 硬くなった甘夏が転がっていた。歯形がある。野生動物のものだろう。

 浜辺に小型船が放置されていた。かつて、ほかの3台と一緒に波止場に並んでいた船だ。

 水をかぶり、エンジンがさびて赤茶けている。

 「次回検査時期 平成29年10月」

 そんなシールが貼られていた。検査を迎えることのないまま、その時を過ぎたようだ。

 「最後の住人」となった中上裕陽(なかうえやすはる)さん(85)の小型船だった。7年前の取材を思い返す。自らに言い聞かせるかのように、こう語っていた。

 「お迎えがくるまで、島の面倒を見る」

 電気は自家発電。冷蔵庫や炊飯器はプロパンガスで動かすタイプ。井戸水を使い、風呂は太陽熱の温水器で。決して便利とはいえない生活だった。でも、「この島に生かしてもらった。いまも、島に生かされとる。先祖の墓や神社を守りたい」。そう話していた。

 当時、その言葉に感じいった。じぶんを守ってもらったのだから、生きている間は守り返したい――。強い意志が伝わってきた。

 では、なぜ、島を去ったのか。長男(52)に電話で聞くと、体力が衰え、船の乗り降りが難しくなったからだと説明してくれた。「一人で身の回りのことができなくなったら引っ越す」。そう約束をしていたようで、昨年10月から、瀬戸内市の本州側で暮らしているという。

 中上さんの話を聴きたかった。でも、かなわなかった。年々、耳が遠くなっているのが理由だった。

 断られてはいたものの、せめてあいさつはしたい。島に渡る前に自宅へと出向いた。

 テレビの大きな音が漏れ聞こえてきた。最近は一日中、テレビの前で過ごしているという。長男が思いを代弁した。

 「もう自分の役目は終えたと、そんな感じなんじゃないでしょうか」

     ◇

 無人になった島を歩く。ひとが足を踏み入れるのを、かたくなに拒んでいる。そう感じた。

 島に入る。草木が踊っている。体をかがめて進む。中上さんの自宅の庭に出た。長靴とタオルが干したままになっていた。持ち主が帰ることは、もうない。

 折れた竹が重なり、道をふさぐ。ヒヨドリの鳴き声が響くのは、7年前と変わらない。でも、広々としていたキャベツ畑は荒れ、ネコがあくびをしていた。我が物顔で。ナスはひからびたまま、ぶらさがっていた。所在なげに。目の前で、キジがとびはねた。

 海を見渡す高台に出た。6基の墓が並ぶ。でも、墓石はない。土台だけ。かつては立派な墓石が並んでいた。土台を残して、みな、島から運び出された。供えられたキクは赤や紫、黄の色みを失い、しおれ、こうべを垂れている。

 風が吹く。落ち葉が揺れる。7年の時間の重さが、つらく、むごく、のしかかってきた。遠くない将来、ここもきっと草木に埋もれる。いずれ、墓があったことすら忘れられるのだろう。そして島はとどまることなく、「原始の姿」を取り戻しつづけるのだろう。

     ◇

 中上さんのことばを思い出す。「島全体が家族のようだった」。年の瀬。かつては6世帯30人ほどが住み、家々がもちつきをして新年を待っていた。

 この12月。中上さんよりひと足先、6年前に島を出た、いとこの保雄さん(88)は、ほかの元住民と同じように、無人になった島から墓石を運び出した。

 保雄さんに話を聴いた。島で撮った写真を見てもらう。カメラの小さな液晶モニターにぐっと顔を近づけてきた。

 「いやあ、もう、なんとも言えんなあ」

 そして、続けた。

 「島のことは忘れにゃいけんですわ。諦めじゃな」

 ふるさとを簡単には忘れられない。そんな気持ちの裏返しでもあるのだろう。

 少子高齢化でひとが減り、ひとがいなくなる。ふるさとが自然にかえる。

 黒島に限った話ではない。離島振興法上の有人離島は計255。その1割ほどが、今後30年で無人になる可能性があるといわれる。島にとどまらず、自治体そのものの消滅が指摘される村や町もある。それが現実だ。

     ◇

 僕が保雄さんを訪ねた日は雨だった。保雄さんの本州側の家からのぞむ黒島は、かすんで見えた。でも、生い茂る木々に覆われていることだけは、はっきりとわかった。

 取材の最後。一緒に黒島を見た。保雄さんがつぶやいた。

 「島が、死んでいきよる感じじゃな」

 現実をかみしめ、受け入れるかのように。(藤原学思)