昭和天皇が鉛筆で和歌を推敲(すいこう)したとされる罫紙(けいし)とともに、その歌を側近の徳川義寛(よしひろ)侍従長(当時)が写し取ったとみられる毛筆の書が見つかった。歌の相談役の歌人・岡野弘彦さんから助言をもらうため、徳川氏が「清書」したものだという。毛筆の書は昭和天皇と近しかった人が保管していた。徳川氏の遺族も徳川氏の文字だと話した。

 7日で昭和天皇逝去から30年。朝日新聞が先日報じた昭和天皇のメモ8枚と罫紙29枚に加え、今回徳川氏の毛筆の書が確認されたことで、昭和天皇が心に浮かんだことをまずメモに書き留め、それを罫紙で推敲、側近が清書して相談役の助言を受けて完成させる――という歌づくりの流れが具体的に見えてきた。

 岡野さんによると、当時、側近は原則、天皇直筆の原稿ではなく、側近自身が毛筆で写し取ったものを持参してきていたという。

 今回の毛筆の書は、昭和天皇が使っていたものと同様の「宮内庁」の文字が入った罫紙15枚、裏表30ページ。ひもで右端がくくられており、1986(昭和61)年3月から秋ごろまでに詠んだ和歌計58首が記されている。内容は、29枚の罫紙にある同時期の歌と同じものが大半で、メモの中にも共通する言葉が確認できた。

 たとえば、昭和天皇の直筆の罫紙にある歌「うれはしき病となりし弟をおもひかくしてなすにゆきたり」。86年夏に肺がんとわかった弟・高松宮を思う歌だが、毛筆の書では「おもひかくして」の脇に朱で「(おもひつつひめて)」「秘」と書き込まれている。朱は清書を見た相談役からの助言とみられ、歌集「おほうなばら」で公表された際には「おもひつつ秘めて」となっていた。

 また、86年4月の在位60年記念式典の際の歌「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな」は、毛筆の書では「はつかしき」の脇に朱で「おもはゆき」と書き込みがあった。

 象徴天皇制を研究する河西秀哉・名古屋大大学院准教授はメモと罫紙、毛筆の書をすべて確認し「三つの資料があることで、歌が表に出るまでにどのようなポイントを変更したのかがわかる。変更は和歌としての形式を重んじてなされているが、変更前の歌の方がより天皇の直接の感情が表現されている」と話した。

 今回明らかになった一連の文書について「独特の字や率直な感情表現などがわかり衝撃的。私的な文書の価値が改めてわかる発見だ。今後も、可能な限り国民の財産として公開されればと思う」と話した。