伝統的な家族、私の居場所ない…僧侶になった性的少数者
少子高齢化が老いと縮みをもたらす。日本の持続可能性の危機には違いない。でも、ひとりひとりの生き方には、ときに圧力となってのしかかる。
「私には、生きている価値がない」。多賀法華(のりか)さん(39)は、そんな思いを抱えて生きてきた。島根県雲南市のお寺の長女として生をうけた。年子の弟が生まれた。長男として寺を継ぐことに誰も疑問を持たなかった。「私はいてもいなくてもいい」。私ってなに?
中学のとき、女の子が好きだと気づいた。セーラー服は気持ち悪い。髪を短くし、体操服で通った。
高校はブラウスにリボンの制服。スカートの下にズボンをはいた。おかしな子と思われたくなくて人一倍勉強し、広島大に進んだ。
アルバイトに精を出した末に中退。故郷に戻って恋人ができた。女性だ。「ずっと一緒にいたい」。飲みながら父に打ち明けた。「母さんには言うな」。家族にすら言ってはならないことなのか。
その恋人も「結婚して子どもがほしい」と言って離れていった。彼女とその夫と3人で住めばいいと思ったのは自分だけだった。
騒がしいおいっ子をしかる父の怒鳴り声に、涙があふれたことがある。まるで自分が否定され、責めたてられたように聞こえて。押し込めてきたつらい記憶が、よびさまされたのかもしれない。
私には居場所がない。
転機は6年あまり前に訪れた。幼なじみの自死だった。「私と違って生きる価値があったのに」。生きている私。自分の可能性を信じてみよう。「価値がない」という考えと闘うようになった。今もだ。
実家の寺の見習い僧侶を務め、太鼓や神楽の集まりなどに積極的にかかわる。性的少数者への理解を広げようと人前で経験を話す。社会の役に立つためであり、「居場所づくり」のためでもある。人と人をつなぐ縁(えにし)から新しい「家族のかたち」がみつかるかもしれないと感じている。
でも、飲み会の席では「女は結婚して子どもを産み育てて一人前」と言われる。性的少数者は「生産性がない」とした国会議員を擁護するような声も出た。
多賀さんは人口減をどう考えるのか。少し間があって「親子や夫婦じゃなくても補い合う関係が生まれるのではないか」と話した。両手の指をぎゅっと組み合わせていた。
「伝統的な家族」。そんな価値観が法制度にも反映される。しわ寄せが、とりわけ女性に向かう社会は変わるのか。(仲程雄平)
仕事と出産、両方はわがまま?
働きたい、子どもを産みたい。この二つの組み合わせ。今の日本では難問だ。
午前8時の通勤ラッシュ。ベビーカーを押す女性が電車に乗ってきた。
チッ。舌打ちが聞こえた。東…