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 江戸後期に活躍した高岡の町絵師・堀川敬周(けいしゅう、1789ごろ~1858)が晩年に自宅の土地を売却した際の証文を、高岡市立博物館が見つけた。「先生は家が貧しかった」との書き込みもあり、同博物館の仁ケ竹(にがたけ)亮介主査学芸員は「売れっ子絵師が意外にも苦しい生活をしていたことを示唆する貴重な史料」と説明する。

 敬周は高岡堀上町生まれ。京都四条派に山水、花鳥、人物画などを学び、高岡に戻って町人を顧客にした町絵師として活躍した。著名な漢詩人の大窪詩仏(1767~1837)や俳人の桜井梅室(1769~1852)らと合作するなど多くの文人とも親交を持った。高岡の旧家が作品を多く所有するなど、当時の売れっ子だったと考えられてきた。

 見つかった証文は、同博物館が新たに購入する予定の敬周の風景画の箱に入っていた。敬周が亡くなる4年前の嘉永7(1854)年に「大工清蔵」という人物に、間口3間(約5・5メートル)の土地を金6両2歩で売却したことが記載されている。裏には「先生は家貧にして宅地所を売却せられたる証文なり」との後世の加筆もある。

 敬周の私生活については、1909年に高岡市が刊行した「高岡史料」で「之(こ)れを知ること能はず」とされるなど、ほとんど知られていない。見つかった証文は「晩年は生活が苦しかったことをうかがわせる」と仁ケ竹さん。「当時は画料が安かったのか、浪費癖があったのかなど興味は尽きない。これからも史料の収集に努めたい」という。(松原央)