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新美南吉「ごんぎつね」の道

 まっすぐな道を人が行き交う。知多半島のほぼ中央にあって海運や酢、酒造りで栄えた半田の市街へ向かう通称大道(おおみち)。その道は夭逝(ようせい)の童話作家、新美南吉(にいみなんきち、1913~43)が生まれ育った畳屋の近くから南東に延びていた。

 生家に塀や生け垣はなく、屋内からでも道はよく見渡せた。幼いころは遊び場にもなったという。

みちのものがたり
歴史上の人物や、著名人など様々な人々に光を当て、道を舞台に描くヒューマンストーリー。

 大道は本屋や喫茶店に行くとき、安城高等女学校(現・愛知県立安城高校)の教員時代は通勤路として歩いた。行き帰りに子どもたちのしぐさや表情を目にし、沿道にある池の鳥や、赤レンガの工場で働く人々の姿も胸に刻んだことだろう。結核で療養中は外の空気を吸うために散歩した。

 大道などふるさとの田舎道について、新美南吉記念館の学芸員、遠山光嗣さん(47)は「人間観察の眼(め)はここで磨かれた」と語る。南吉は、牛で荷を運ぶ牛飼いの物語「和太郎さんと牛」、最初から最後まで路上で話が展開される「うた時計」など、大道が舞台の童話も書いている。

 大道をはじめ、南吉の作品の多くはふるさとをモチーフにしているとされる。

 「これらの風景は静かに侘(わび)しい余の心に一つ一つの小説の場面かエピソードのようにうつって来る」。37(昭和12)年2月26日付の日記に南吉はそう書いた。初めて喀血(かっけつ)した3年後、23歳だった。

 愛する地元とともに、南吉の作品を貫くのは母への思慕だった。

 4歳で母が病死し、翌年に父は後妻を迎え、弟が生まれた。尋常小学校2年のときに母の実家へ養子に出された。血のつながらない祖母と2人きりの暮らしになじめず、半年で生家に戻る。

 旧制半田中学校(現・県立半田高校)に通っていたころ、文学に目覚め創作を始めた。代表作「ごんぎつね」は18歳のときの作品だ。児童雑誌『赤い鳥』に投稿し、32年1月号に「ごん狐(ぎつね)」として載った。

 子ギツネのごんはいたずらを後悔し、母を亡くして独りになった男、兵十(ひょうじゅう)に栗やマツタケを届ける。だが、それを知らない兵十に火縄銃で撃たれてしまう――。童話では珍しく、主人公の死という結末を迎える。

 他者とのふれあいを求めても、…

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