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 昨年9月まで、4年半ほど米サンフランシスコに赴任していた。連載「エイジング・ニッポン」で、日本や米国で新しい生き方を模索している人たちを取り上げたが、シリコンバレーで出会った日本の若い起業家たちのことを何度も思い出した。

 サンフランシスコでの私の最初の仕事は、サンフランシスコ市内に支局を立ち上げることだった。不動産屋を巡ったり、現地でスタッフを雇用したりと、それまで記者としてやってきたこととはかけ離れたことばかり。そんな慣れない作業と格闘していたときに出会ったのが、日本からシリコンバレーに来ていた起業家たちだった。

 多くがひとりやってきて、私以上に孤軍奮闘していた。必ずしも英語が得意なわけでもなく、長期滞在できるビザを手に入れるあてもないまま、生活費を切り詰めながら事業を立ち上げようとしていた。

 私より先に来ていた人からは「わからないことがあったら、いつでも連絡してください」と励まされた。会うたびにうまくいかなかった話をし合い、「お互い、ひとりスタートアップだね」と笑いあった。ただ、大きく違っていたのは、私は会社という組織によってある程度守られた中にいたのに対し、彼らはリスクを一人で背負い、失敗も成功もすべて直接自分に跳ね返ってくることだった。

 毎日のように時間を費やしている事業が、本当に正しい方向に進んでいるのか。投資してくれる人は現れるのか。時間もお金も費やした末に、競合や新しい技術によってサービスがあっという間に消え去る可能性はないのか。信じられるのは自分しかいない。会社員の私には想像もつかないプレッシャーに違いなかった。シリコンバレーでは、カウンセラーにかかる人が多いというのもうなずけた。日本でもてはやされるような「起業家」というキラキラした言葉からは想像できない孤独や苦悩の一端を見た気がした。

 では、そんな大変な思いをしてまで、なぜシリコンバレーに来たのか。

 ある人は「(フェイスブックの)マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者は、ほとんど同じ年。自分も世界的な挑戦をしてみたいと思った」。別の人は日本で起業し、大企業に会社を売却した経験もあった。でも、「日本での経験を忘れ、ゼロから世界に通用するものをつくってみたかった」と言う。そして、何人かが「このまま日本しか知らないのはまずいと思った」と話した。

 彼らに共通するのは、「自分のやりたいこと」に貪欲(どんよく)なことだ。それは、必ずしも「何をやりたいかが明確にわかっている」という意味ではない。ただ、「何かやってやろう」という気持ちが、あふれるほどあるという意味だ。そして、シリコンバレーという場所は、それでいいんだ、ということになっている。20代そこそこで、そんなことがわかっている人はそうはいないからだろう。みな、かつて地方から東京へ「上京」したような感覚で、ぽんと海を越えてシリコンバレーに来てみた、というのが本当のところのようだった。

 もはや、いい大学を出て大企業に勤めれば一生面倒見てくれるという時代は終わりつつある。若いうちに「ダメもと」でもやりたいことをやったほうが、悔いはない。みなそんなことが頭の片隅にあるようにも見えた。

 もちろん、あまたあるスタート…

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