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 阪神・淡路大震災で父を亡くしたフルート奏者が17日、東日本大震災の被災地を支援するチャリティーコンサートを神戸市内で開く。24年前の震災で一度は諦めた音楽家への道。背中を押してくれたのは、ほかでもない父だった。感謝の思いを胸に、舞台に立つ。

 神戸市灘区の久保田裕美(ひろみ)さん(41)。高校2年生だった1995年1月17日、暮らしていた灘区神前(かみまえ)町1丁目の文化住宅が崩れた。

 暗闇で身動きが取れない。ガスが漏れる音に混じって「裕美、大丈夫か」。最後に聞いた父・幸雄(ゆきお)さん(当時49)の声だった。

 幸雄さんは崩れ落ちたはりの下敷きになった。腕立て伏せのような体勢で、母(65)と妹(39)をかばっていた。

 裕美さんは当時、フルートに没頭し、音楽大学に進んでプロの演奏家になるのが夢だった。だが、電器店を営んでいた幸雄さんは「受験費用や学費がかかる」と反対。母の説得で受験を認めてくれたが、「本当に芸術で食べていけるのか」と、口を開けば、けんかになった。

 震災の2日前にも口論し、裕美さんにはわだかまりが残ったままだった。「なんでお金ばかりかかる自分が生き残ったんやろ。お父さんと逆だったらよかったのに」。音大進学をあきらめ、卒業したら働こうと決めた。

 そんなとき、避難先のアパートに、中学時代の吹奏楽部で顧問だった恩師が訪ねてきた。「大切なもの、忘れてるぞ」。がれきの中から見つけ出してきてくれたフルートだった。

 裕美さんに手渡し、以前、幸雄さんから裕美さんの音大進学について相談されていた、と明かした。恩師は「1回だけでよいので、受験させてあげて」と母に頭を下げてくれた。

 幸雄さんは電器店の得意先に音大出身者がいたら、受験費用などを尋ねていたという。父がそんなに考えていてくれたとは、裕美さんは全く知らなかった。「もっと冷静に話していれば」。悔やむと同時に、父に応援してもらっているような気がした。

 避難生活を続ける中、「自分だけ夢に向かって進んでいいのだろうか」と悩みながらも、フルートの練習に打ち込んだ。1年後、希望していた大阪音楽大に合格。現在、神戸フィルハーモニックなどの楽団に所属しながら、スタジオミュージシャンやフルート教師として活躍している。

 2011年に東日本大震災が起きると、神戸フィルハーモニックは東北へ慰問演奏に出かけた。

 裕美さんは自身の被災体験を生々しく思い出し、最初の年は参加できなかった。だが仲間から被災地の様子を聞き、「傍観していられない」と翌12年から毎秋、慰問に加わっている。

 宮城県南三陸町の仮設住宅で忘れられない経験をした。「中学に行ったら何の部活をするの」と小学6年生の児童に尋ねると、「自分には夢や希望はないです」と答えが返ってきた。かつての自分に重なり、涙がこぼれた。「何かしなきゃ」と、4年前からは毎年1月17日に、東日本大震災の被災地を支援するチャリティーコンサートを神戸市内で開いている。

 今年の会場は神戸市中央区江戸町の「100BANホール」(午後7時開演)。音楽仲間とともにクラシックなどを演奏する。

 「自分が今、フルートを吹いていられるのは、父をはじめ、背中を押してくれた人たちのおかげ」と裕美さん。自分も誰かの背中を押すために音楽を続けていこう、と決意している。(山崎毅朗)