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 「外国人労働力」を確保しようと政府は出入国管理法を改正しました。国籍の異なる人々が国境を越えて出たり入ったりする場面が増えます。「出口」の一つ、光の当てられにくい外国人収容施設を作家の高橋源一郎さんが訪ねました。寄稿を掲載します。

 コンビニでレジの前に立つ。すると、少したどたどしい日本語でしゃべる声が聞こえてくる。

 「イラッシャイマセ」

 目を上げると、そこにいるのは日本人ではない。当たり前の風景だ。そういえば、ハンバーガーショップや立ち食い蕎麦(そば)屋で立ち働いている外国人を見ても、驚くことはなくなった。

 時々、彼らはどこから来たのか、どんな人間なのか。そう考える。でも、一瞬のことだ。そして、わたしたちはすぐに忘れる。

 去年、出入国管理法の改正が大きな議論を呼び、メディアで「入管法」という言葉が飛び交っていた頃、不意に彼らのことを思い出した。改正入管法は、労働力としての外国人の受け入れ拡大を目指して作られた。この国の経済にとって役立つ人材。それが彼らに与えられる役目だ。そして、そのことばかりが議論される。それ以外のことにはみんな無関心だ。心の底で疼(うず)くものがあった。

 半世紀前、わたしは学生運動に参加していた。ベトナム反戦。大学制度改悪反対。多くのテーマがあった。その中に、「大村収容所を解体せよ」という声があった。

 「彼らも人間なのだ。絶対に忘れてはならない」

 どこかの集会でそんな声を聞いた気がした。でも、その時も、わたしは通り過ぎただけだった。

 長崎県大村市にある大村入国管理センター(旧大村入国者収容所)を訪ねたのは、改正入管法が成立した少し後のことだった。最新のIT工場のような、大きくて清潔なその建物の中には、在留資格がないなどの理由でアジアやアフリカ、南米など出身の外国人、約100人が収容されていた。

 林旗(リンチー)さんは1984年生まれの34歳になる中国人だ。すでに3年近く収容されている。いつ収容施設の外に出られるのかは、誰にもわからない。

 「障害のある子どもと妻が大阪で苦しい暮らしをしている、家族を置いて、生活の基盤のない中国に戻るわけにはいかない。家族が夢に出てくる。会いたい」

 面会室の透明な窓の向こうで、訥々(とつとつ)としゃべった林さんとの時間はやがて終わった。

 半世紀前、学生運動で逮捕され、拘置所に入っていたわたしも、林さんのように窓の向こうにいた。わたしは独房で7カ月過ごしたが、終わりごろには、拘禁性ノイローゼになって独房の壁に頭をぶつけ続けたりした。明確な理由も根拠もわからないまま、そして、いつまでなのかもわからず壁の中にいることにわたしは疲れ果てていたのだ。いまでも、わたしはその頃の悪夢を見るのである。

 案内された入国管理センターの中の光景は、わたしがいた拘置所の中とほとんど同じだった。

 記憶にある「大村」とは何だったのだろうか。そして、あの時、なぜ人びとは、「大村収容所」の解体を求めたのだろうか。わたしは自分の記憶を確かめるために、いくつも資料を読んだ。

 大村入国者収容所は、1950年から1993年までの44年間、様々な理由で国外退去命令を受けた「韓国・朝鮮人」を「集団送還」するまで収容する場所だった。そこは「刑期なき獄舎」とも「監獄以上の監獄」とも言われた。「送還にせよ、仮放免にせよ、収容されてから大村収容所を出所できるまでの収容期間には法律上の制限がない」からだった(小野誠之「雑誌『朝鮮人』」27号〈1991年・終刊号〉)。4、5年にもわたる長期の収容によって絶望し、自殺や暴行に走る者も続出した。いまと同じだ。だが、その事実はほとんど知られることはなかった。それもまたいまと全く同じなのである。

 「大村収容所を廃止するために…

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