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 《宗教学者で、国際日本文化研究センター(日文研)で3代目の所長を務めた山折哲雄さん(87)の話》

 出版社の編集者だったころに原稿を介して梅原さんと知り合い、40年以上の親交があった。東北大の助教授から国立歴史民俗博物館教授になってしばらくした1982年9月、仙台市で東北文化に関するシンポジウムがあったとき、その後の懇親会で梅原さんが隣に来て、こう持ちかけられたのを覚えている。「日本文化を世界に発信する研究所を新しく京都につくろうと思っている。来ないか」。日文研の構想を打ち明けた上での勧誘だった。

 勧誘のときも情熱的な口ぶりだったが、梅原さんは、ものにつかれたように原稿を書き、話す人だった。編集者時代に京都に行って原稿の打ち合わせをすると、終わってから祇園の居酒屋で深夜まで飲んで議論をした。飲みっぷりも豪快の一言に尽きた。

 いま、人文学は様々な批判にさらされているが、底を打っている感がする。こういう時代だからこそ、梅原さんの喪失感は大きい。もう一踏ん張りしていただきたかった。