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 12日に93歳で亡くなった哲学者の梅原猛さんは、独創的な研究を進めた「知の巨人」だった。梅原さんを悼む声が、各界から寄せられている。

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 《梅原さんと親交があり、対談が本になっている歌舞伎俳優・市川猿之助さんの話》

 平成最後の年に人生の幕を閉じられたことは、実に先生らしい。まさにひと時代が終わった感がいたします。先生の傍らで学ぶことを懇願した折、「君は歌舞伎界で梅原猛を生かしてくれ」との言葉が忘れられません。これから、それを実現すべく精進して参ります。

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 《梅原氏との共著もある僧侶で宗教学者の釈徹宗(しゃくてっしゅう)さんの話》

 非常に懐の深い方で、清濁併せのむようなところもあった。普通の人が思いつかない発想が豊かで、「思想アーティスト」という印象があった。学術的トレーニングを積んで、その枠から抜け出せない研究者がほとんどの中、梅原さんは融通無碍(むげ)で直観を重んじながら、専門研究者が思いもよらないアプローチで、魅力的な学説を提示された。西郷隆盛のように、強く打てば強く響く、大きな人物との印象が強い。

 法然、親鸞を研究し、確固とした死生観を持ち、信念があった。「自分は浄土に往生した後、この世に戻って来て救済に当たる」と語り、私のような僧侶にそういう覚悟はあるのかと突き付けられた。

 3~4年前に最後にお会いしたとき、「人生の最後の仕事として、親鸞と世阿弥について書き残したい」と意欲的に語っておられたのが思い出される。

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 《京都市立芸術大学時代の梅原さんの教え子、銅版画家・山本容子さんの話》

 常に疑いを持ち、気持ちを曲げず、初心忘るべからずと話されていた。スーパー歌舞伎もそうだが、面白いと思えば何にもとらわれず、文化の力で垣根を壊せるしなやかな方だった。私は美術館だけでなく医療機関で作品を発表する活動をしているが、それは先生の影響が大きい。

 大学時代は、私たち学生が前に座り、市民も聴講して、新しい学説を面白く聞いたのが印象深い。革新的に物事を進める瞬間に立ち会えて、何よりのご指導をいただいたと思う。それからも付き合いは続き、10年以上にわたり「梅原猛と10人のアーティスト展」を教え子たちと開くなどして、孤軍奮闘する私たち作家を応援してくれた。

 最近は90歳の卒寿祝いの会でお会いし、「卒寿は終わってしまうみたいで寂しいな」と話されていた。病気もたくさんされていたが、めげずに頑張ってらっしゃった。

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 《友人で、共著もある霊長類学者の河合雅雄さん(95)の話》

 同年代の梅原さんが亡くなり、いよいよ独りぼっちになったなあという感じだ。梅原さんは独創性を大事にし、日本独自の哲学を開こうと頑張った。カントやヘーゲルといった西洋哲学にとどまらず、聖徳太子や柿本人麻呂から、縄文時代やアイヌまで幅広い関心を持って古代からの日本思想を追究し、文学や芸術、芸能とも融合した哲学をつくりあげたユニークな人だ。

 何事も実物に直接あたって探究する行動的な人だった。(江戸時代の遊行僧の)円空の研究でも、全国各地に円空が残した多くの仏像を訪ね歩いて実地で見聞して回っていた。決して書斎に閉じこもることなく、知のフィールドワーカーとして現場に出かけ、自らの思想を形作っていった。

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 《国際日本文化研究センター(日文研)に創立時から所属していた日文研名誉教授の白幡洋三郎さん(70)の話》

 梅原さんはさまざまな場所で「日本文化について日本人と外国人が対等な立場で議論でき、異なる視点が出合う場を作ることが必要だ」と情熱的に語り、その熱意が多くの人を動かした。(日文研の)創立後も様々な困難があったが、所長の梅原さんはいつも楽観的で、彼が「大丈夫や」というと、不思議とうまくいった。まだ始まったばかりの研究が、その後に成果をあげられるかどうかを見抜く動物的な勘も持ち、彼の個性が日文研の明るく、自由な雰囲気を作ったと言っていい。若手の研究者によく「全部積み上げたら自分の背より高くなるまで本を書き続けなさい」と励ましていた。どんな分野の話題も、一般の人たちにも分かりやすい言葉でまとめる彼の能力は他の人にはないもの。まだ書きたい本がたくさんあったのではないか。

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《京都市立芸術大学時代の梅原さんの教え子、銅版画家・山本容子さんの話》

 常に疑いを持ち、気持ちを曲げず、初心忘るべからずと話されていた。スーパー歌舞伎もそうだが、面白いと思えば何にもとらわれず、文化の力で垣根を壊せるしなやかな方だった。私は美術館だけでなく医療機関で作品を発表する活動をしているが、それは先生の影響が大きい。

 大学時代は、私たち学生が前に座り、市民も聴講して、新しい学説を面白く聞いたのが印象深い。革新的に物事を進める瞬間に立ち会えて、何よりのご指導をいただいたと思う。それからも付き合いは続き、10年以上にわたり「梅原猛と10人のアーティスト展」を教え子たちと開くなどして、孤軍奮闘する私たち作家を応援してくれた。

 最近は90歳の卒寿祝いの会でお会いし、「卒寿は終わってしまうみたいで寂しいな」と話されていた。病気もたくさんされていたが、めげずに頑張ってらっしゃった。