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 日本古代学、文化基層論、そして仏教論、能藝(げい)論、さらにスーパー歌舞伎や小説の創作と、じつに幅広い仕事をしてこられたが、哲学が「本籍地」だとの思いは最後まで消えることはなかった。哲学会に早々と見切りをつけ、わが道を進まれた後でも、ちょうど『日本人の「あの世」観』に収められた論考を書き継いでいる頃だろうか、若手哲学者の研究会後の酒席にしばしば駆けつけ、後輩たちとの議論を楽しまれた。近年、残る時間でこれだけはと言っておられたのも、壮大な《人類哲学》の構想だった。

 「でかい人」「懐の深い人」というイメージが強いが、わたしにはともかく「情に厚い人」という印象のほうが強い。わたし自身、関西の哲学界で孤立に近い状況にあったとき、笑みとともに背中をぽんぽんと叩(たた)かれた思い出があるが、それも、社会で蔑(ないがし)ろに、あるいは置き去りにされてきたものへの溢(あふ)れんばかりのシンパシー(苦しみを分かちあわんとの思い)の一つだったようにおもう。ときに瞼(まぶた)を伏せて憐(あわ)れみ、ときに茶目(ちゃめ)っ気(け)たっぷりに持ち上げる。人をついその気にさせるのに長(た)けた、いい意味での「人たらし」であった。哲学徒だけではない。芸術家のたまごたちも、その煩悶(はんもん)のさなか、どれだけ気に掛けられ、背中を押されたことか。

 「夢を見る人間には、心に大きな傷を持っている人が多い」。『少年の夢』のなかで梅原さんはこう書いている。80歳近くになって書かれた大著『法然の哀(かな)しみ』でも『歓喜する円空』でも、ふたりの心に幼くして刻まれた傷と生涯続いたその疼(うず)きへの強い共鳴から書き下ろされている。あるいは代表作『水底(みなそこ)の歌』もそうだが、怨(うら)み、無念、悔しさといった、抑えようにも抑えきれない情念に突き動かされ、さまようほかない人たちへの共感は熱かった。

 不幸や不運だけではない。「笑…

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