【動画】県内の男子新体操関係者が一堂に会する「新体操演技会」=高橋健人撮影
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 新体操の技を高校生らが披露する「新体操演技会」が毎年、宮崎県小林市で開かれている。44年前から続く知る人ぞ知る「男子新体操の祭典」だ。小林に新体操が根付いた背景には何があるのか。

 昨年11月、小林市市民体育館であった今年度の演技会には、県内外から高校や大学の強豪チームや個人選手が出演。華麗な演技を見ようと会場は約1600人の観客で埋まった。先頭の女性客は4時間半前から並んで開場を待ったという。

 えびの市立上江(うわえ)小中の中学生は、マットの上下左右からバク宙やバク転が入り乱れるダイナミックな動きを見せた。コミカルな演技で人気の鹿児島実業高校は、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌やお笑いコンビ「にゃんこスター」のネタを取り入れた楽しい演技で会場を沸かせた。

 トリを飾ったのは地元の小林秀峰高校。選手2人が両腕を絡め、車輪のように回る演技に大きな歓声が上がった。3年間の集大成として挑んだという中野辰哉主将(3年)は額の汗をぬぐいながら、「過去最高の演技ができた」と笑顔を見せた。卒業後は地元で就職し、母校の小林中で後輩を指導するつもりだ。

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 現在は新体操がメインだが、1975年の第1回の演技会は体操が主体だった。名称も「体操競技実演会」で、前年の74年の世界選手権で個人総合優勝した笠松茂さんら国内トップレベルの体操選手を招いた。12演目中、新体操演技は鹿児島純心女子中・高による2演目だけだった。

 初回の開催にかかわったのが米満幸一さん(78)=都城市。当時、県体操協会の理事を務めており、「県内初開催の79年宮崎国体に向け、体操、新体操の競技力を上げるための催しとして始まった」と振り返る。

 米満さんは県から宮崎国体に出場する男子新体操のチームづくりを託され、77年、自身が監督を務めていた小林工業高校(当時)の「器械体操部」を「新体操部」に切り替えた。

 演技会を主催する小林体操協会も新人選手を発掘するため、演技会を全て新体操の演目にした。演技会の収益は水俣高校(熊本県)や中京大学(愛知県)といった強豪チームへの遠征費の一部に充てるなど小林工高の強化費に使われた。

 同校は指導者として国士舘大学(東京都)の卒業生を呼び、練習の質も上げた。創部の時に入部した1年生8人は中学まで未経験者だったが、練習漬けの2年半で技の完成度を高めていったという。78年の高校総体は17位だったが、宮崎国体を2カ月後に控えた79年の高校総体では準優勝の成績を残した。

 迎えた宮崎国体では、小林工高が県代表として個人と団体競技に出場。総合点(40点満点)で青森を0・075点差で上回り、初優勝を果たした。創部3年目の快挙に、米満さんは「選手の苦労した日々が頭に浮かんだ。本当によくやってくれた」と感慨深そうに語った。

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 国体を機に全国上位の常連となった小林工高。後身の小林秀峰高校も含め、全国制覇は高校総体4回、選抜大会6回、国体3回を数える。小林体操協会の佐野芳信副会長(72)は「全国に先駆けて小中高の一貫した育成体制を確立したのが強豪であり続けた要因」と明かす。

 地元に就職した卒業生が指導者になり、20年ほど前に小林中と上江中に男子新体操部を創設。小林市など県内4市には未就学児から所属できるジュニアクラブもできた。佐野副会長は「高校の新入部員は経験者ばかり。最初から高い水準での練習が可能になった」と話す。

 しかし、2015年の選抜大会以来、小林秀峰高は日本一を果たせていない。昨年8月の高校総体は団体6位。佐野副会長は、他県でも高校入学以前の育成システムが確立されたのに加え、県内の競技人口が減っていることが背景にあると分析する。

 小林秀峰高の永野護監督(45)は「伝統の組み技を大事にしつつ、演技のキレや流れを追求したい。男子新体操を愛してくれる地元への感謝を大切にしながら」と話している。(高橋健人)