「北島三郎」失った国の悲劇 音楽が消え、人は殺された
ストゥントレン=鈴木暁子
カンボジア音楽界のキング――。カンボジアの人たちが、口をそろえてこうたたえる国民的人気歌手がいる。その名はシン・シサモット。代表曲は、たいていの人が「ありすぎて選べない」と言う。自ら制作したオリジナル曲は1千以上。さらに、橋幸夫の「潮来笠」や「恋をするなら」、森進一の「女のためいき」など、日本の昭和の歌謡曲からビートルズの「ヘイ・ジュード」まで、さまざまな国の歌をアレンジし、カンボジアのことばでうたった。
私がはじめて彼の歌声を聴いたのは6年ほど前、カンボジア映画の中で使われていた、三橋美智也の「達者でナ」のカバーだった。民謡風の元歌をリズミカルにアレンジしうたう、その軽やかな声。あれっ、この歌知ってると驚き、そのエキゾチックな歌い方や音調が忘れられず、同時代のクメールロックや歌謡曲のファンになった。
シサモットが活躍したのは1950~70年代。35年生まれというから、生きていれば80代前半、日本で言えば北島三郎さんみたいな大御所だ。だが人気絶頂の75年、シサモットは人々の前からこつぜんと姿を消した。その最期は正確にはわかっていない。
「食堂でフランスや米国の音楽がかかっていたりすると、何かひらめいたみたいにペンをとって、紙きれに曲を書き始めたものです。家に帰るころには作品が一つできていた」
プノンペンから車で6時間ほ…