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 女性運動家の平塚らいてう(1886~1971)が戦後に書いた日記がデジタル化され、14日からNPO法人「平塚らいてうの会」のホームページで公開されている。同会は「『人間らいてう』を知る手がかりになる。研究に生かしてほしい」としている。

 平塚らいてうの戦後の日記や史料は、72年に完結した自伝『元始、女性は太陽であった』の第4巻をまとめた小林登美枝氏から同会が継承し、保管していた。日記は53年1月から58年12月までが断続的に、大学ノート1冊に約100ページにわたってつづられている。22日、手紙など8点の史料とともに、原本が報道陣に公開された。

 53年11月には、国際民主婦人連盟(WIDF)副会長への就任要請を受けて、「一晩考へた上、そろそろWIDFの副会長、一期だけ引受ける決心をする」という記述がある。同会の会長で女性史研究者の米田佐代子さん(84)は、「よく知られているような勇ましい活動家ではなく、むしろ先頭に立つことは苦手だったと分かる」と分析する。

 平塚は、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹とともに「世界平和アピール七人委員会」に参加していた。57年7月4日の日記には、「七日から三日間カナダで開かれる国際科学者会議に出席される湯川先生を中心に集る」予定だったが、健康すぐれず欠席の手紙を出したとある。その他にも、湯川の新聞記事を貼り付けたページが多くあり、活動に共鳴していたことが分かる。

 米田さんは「断片的だが、原水爆をなくしたいという思いや、命を守るためには女性が結集しなければならないと強く思っていたことが表れている」と話す。日記は、同会のホームページ(http://raichou.c.ooco.jp/別ウインドウで開きます)に掲載されている。(杉原里美)