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 静岡市葵区の駿府城跡の発掘調査で、徳川家康が築いた天守台の下から、豊臣秀吉が配下につくらせたとされる天守台の石垣が見つかった。昨年10月に市がそんな発表をしたことから、豊臣期の駿府城主「中村一氏(かずうじ)」がいま、注目を集めている。あまり聞かない名前だが、いったいどんな武将なのか。

 駿府城から北西に約1・5キロ。山腹にある墓地の最上段に、コケむした墓石が安置されている。墓地を管理する臨済寺には「中村一氏公の墓」と伝わるが、詳しいことは不明だ。

 一氏について、確かな資料は多く残っていないのだという。2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」では、上川隆也さん演じる主人公・山内一豊の同僚大名として登場。一氏を演じたのはタレントの田村淳さんだった。

 静岡県史や、歴史的な文献を集めた「続群書類従」の「中村一氏記」などによると、一氏は秀吉配下の武将として戦功を上げ、織田信長の死後に岸和田城(大阪府)の城主になった。天正18(1590)年には小田原の北条氏攻略で活躍し、天下統一に貢献した功績として家康に代わる駿府城主となったという。

 この際に一氏が築いたとみられるのが、昨年の調査で発掘された豊臣期の天守だ。同時に出土した金箔(きんぱく)瓦は大坂城や聚楽第のものと似ており、静岡市は秀吉が一氏に命じて城を築かせたと推定している。

 日本城郭協会理事長の小和田哲男・静岡大名誉教授は一氏を「秀吉から信頼された腹心の部下だった」と見る。一氏が任された駿河国14万5千石は、天下人の秀吉にとって最大の脅威である家康の領地と接している。同じく領土を接する甲府城(山梨県)からも金箔瓦が出土しているが、山内一豊が城主だった駿府の隣の掛川城では出土していない。小和田さんは「金箔瓦が、家康監視の重要拠点の証しだったのではないか」と語る。

 一氏は慶長5(1600)年、関ケ原の戦いの直前に病死した。駿府城主を務めたのは約10年間。一豊と協力して洪水が多かった大井川の河川改修を行ったほか、家老の横田村詮(むらあきら)を通じて領地を経営した記録が残っている。

■謎の多い臨済寺…

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