認知症になった元特攻隊員 出撃前に遺書、攻撃は中止

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白木琢歩
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 太平洋戦争末期、海軍の神風特別攻撃隊員だった中川澄夫さん=昨年6月、95歳で死去=が出撃直前、親族にあてて漢詩で書いた遺書が和歌山市内の自宅で見つかった。戦後は特攻について多くを語らなかった中川さん。晩年は認知症で戦争と現実のはざまにいるような日々を送った。

 《赤蜻蛉(とんぼ)による飛行訓練開始。生まれて初めて地球を離れる快感》

 中川さんは和歌山市出身。旧制和歌山中学(現・和歌山県立桐蔭高校)から早稲田大に進学。1943(昭和18)年に海軍に入った。土浦航空隊教育課程を首席で卒業し、航空機の操縦訓練に明け暮れた。

 《共ニ死セント誓ヘルニ、彼、吾(われ)ヲ措キテ征ク、最後ニ愛機ノ傍ニテ語ル“待ツテイルゾ”ト》

 44(昭和19)年10月、朝鮮半島にあった元山(現・北朝鮮のウォンサン)の航空隊に配属。ちょうど同じ頃、海軍が神風特別攻撃隊を編成し、敵艦への体当たり攻撃を始めた。45(同20)年になると、中川さんの同期生らも次々と特攻作戦に投入され、再び帰らなかった。「戦況の悪化は空気で感じる」。後に当時の状況をこうメモに記した。

 《東亜将来吾(わ)が屍(し…

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