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 地域包括ケアの概念が一般的になる以前には介護職と医療が常から連絡を取り合う関係は今ほどではありませんでした。でも当時から介護で知った利用者や家族の情報を医療に伝えてくれた熱心な介護職もいました。私も医療サイドとして判断が適切になると考えたため、当院には当時から患者さんと共にたくさんの介護職に出入りしてもらいました。これから紹介する話はそのような介護職との出会い、今から10年ほど前のことです。

気になった介護職

 当院が高齢者かつ独居者が多い町にあることの特徴として、私が担当する患者さんは通院にホームヘルパーやケアマネジャーが同伴してくれます。本当はこちらからお迎えに行かなければならないのかもしれませんが……。多くの受診者をカバーすることは不可能なので、介護職に甘えているのです。

 そんな同伴してくれるケアマネジャーの一人に雨宮葉子さん(仮名、50代)という女性がいました。彼女はしっかりとしたケアプランを作るだけでなく、それを評価(アセスメント)することに優れていた人でした。私はそのようなケアマネジャーが医療と組んでくれることに、こころから信頼感を持っていました。

 利用者でアルツハイマー型認知症の高木順子さん(仮名、78歳)という女性は要介護1ですが、ひとりでできることには限界があり、困ったことがあるとパニック状態になるため、頻回に雨宮さんが高木さんの自宅に駆けつけていました。

 とても利用者思いの雨宮さんですが、高木さんと来院するたびに、私は気になることがありました。雨宮さんが自分の意見を言わないのです。介護状況を教えてもらって、それをもとに医療として判断し、次の受診までの方針を立てることが私の基本ですが、私と意見が対立するのではないかと思った時でも、特に雨宮さんからケアマネジャーとしての意見が出てきませんでした。

 ある日、高木さんとの話が終わって検査に行っている間に、私は思い切って雨宮さんに話を切り出しました。

 「雨宮さん、いつも高木さんの状況を理解して、とても良い対応をしているのに、あなた自身の考えをこちらに言ってくれないのはなぜなのですか」と。

 すると彼女は語りだしました。「今は高木さんの診察時間で、私のための時間ではないから……」と前置きしながら、話しはじめました。

告白されたこころの内面

〈わたし、仕事に燃え尽きたことがあるのです。自分が他人の支援をするケアマネジャーになった2000年、ケアマネジャー第1期生として人の役に立てることがとてもうれしかったのを覚えています。それから6年間、本音を言うと介護保険のケアマネジャーは楽な仕事ではありませんでした。個別対応や書類の多さに休みが取れず、勤務が続いていたとき担当した血管性認知症の女性の介護者である娘さんが私に訴えてきました。〉

 〈「母親が悪くなっていくのは、ケアマネジャーのあなたが勧めたグループホームが、突然閉鎖することになって、母が混乱したからだ」と言われました。それからです。自分の考えやケアプランが本当に役に立っているのか、それとも今回のように迷惑をかけるとしたら、自分がケアマネジャーを続けることこそ罪ではないのかと。そう思うと仕事が続けられなくて4年間、ケアマネジャーをやめていた時期があります〉

 「どうして復帰できたの?」と私は聞きました。

 すると雨宮さんはこんな話をしてくれました。

 〈私がやめた後に事業所に何人かの利用者さんから「前任のケアマネジャーを戻してほしい」という意見が来たそうです。管理者も私を「必要だ」と言ってくれて。でも、一度燃え尽きてしまったようなケアマネジャーが、現場に戻っても利用者のために何かできるとは思いませんから。だから自分の考えを積極的に言う気持ちにはなれないのです。〉

燃え尽きこそ大切

 そこで、私は雨宮さんにこう呼びかけました。

 〈雨宮さん、あなたは周囲から評価され、私のような医療者も深く感謝するケアマネジメント、アセスメントをしてきた「努力と善意の人」です。それでも時には、利用者や家族が怒りを向けてくることがあるでしょう。とくにその娘さんはグループホームにいられなくなる不安や怒りから、あなたに対しても怒りを向けてきたのだと思います。介護の支援には限界もあります。そのグループホームにもやむを得ない事情があったのかもしれません。〉

 〈でもね、そうして一度「燃え尽きた」雨宮さんにしかできないことがあります。それは自分の燃え尽きた経験をもとに、これから人を支援するときに、どの程度の力で仕事をするのが「適正」なのか、あなたにはその度合いがわかるはずです。これまでの力の70%程度を目指してください。もしかするとあなたは自分で気づかないうちに、適正な力を超えて100%、120%の力で頑張り過ぎていたのかもしれません。人のために生きたいと願うなら、自分をセーブすることも大切なことです。〉

 〈そしてもう一点、あなたにしかできないことがあります。それはあなたが「燃え尽きた経験」を否定的にとらえるのではなく、むしろ燃え尽きるほど人のために自分を尽くそうとしたことを肯定的に評価することです。一度燃え尽きた経験をすると自らの能力に疑いを持ちます。〉

 〈もちろん、燃え尽きた人が「うつ病」や「抑うつ状態」になっているときには、頑張ってはいけません。しっかりと休養してこころの傷をいやす時間が必要です。私が言いたいのはその後のこと、燃え尽きやうつが改善した後のことです。もう一度、人の支援者としてこの世界に戻って来た雨宮さんは、かつて自分が燃えつきた記憶を「こころの傷」のままにして自分を責めながらケアマネジメントをしています。雨宮さんには、自分が燃え尽きたからこそわかる人の痛みがあります。それは人を思いやる大きな力だと思います。〉

 それから4年、雨宮さんは自分で訪問介護ステーションを立ち上げました。そこに所属するホームヘルパーやケアマネジャーのことも考えながら運営しています。もちろん、すべての介護職、支援職が燃え尽きたあと、その経験をもとにより良い支援者になれるわけではありません。それぞれの道があるはず。全く別の人生を歩むことも大切です。

 でも私がここで書きたかったのは、燃え尽きる経験や支援者として「うつ」に襲われた体験は絶望ではなく、介護支援の肯定的側面と考えて良いような「希望」となりうるということです。

(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など