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 京都五花街の振興を支援する京都伝統伎芸(ぎげい)振興財団(通称・おおきに財団)の立石義雄理事長は、学生時代から伝統芸能に親しんできた。花街の応援を兼ね、いまも経営者の仲間らと毎月、定期的にお茶屋や料亭での勉強会に芸舞妓(げいまいこ)を呼んで楽しんでいる。「粋な文化と洗練された感性、最上級のおもてなしを提供する花街は京都の文化そのもの」と語り、花街をこよなく愛する立石氏に、財団としての支援の取り組みや、花街のこれからについて聞いた。

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 ――花街を「京都の伝統産業の宝庫」と述べていますね。

 芸妓(げいこ)や舞妓(まいこ)がまとう着物や帯、身につけている小物や装飾品の数々は、ほとんどが京都の職人の手によるもので、匠(たくみ)の技が見事に生かされています。また「おもてなしの空間」であるお茶屋は、伝統的な京町家が主流で、建物はもちろん、畳や障子、ふすまといった建具から、飾り扇や花瓶などしつらえの品々に至るまで、多くの伝統工芸の粋が取り入れられています。

 ――花街が伝統産業を支えている、と。

 私が会頭を務める京都商工会議所は約1万2千の事業者が会員ですが、その9割が中小企業で、伝統産業の関連が多くを占めます。アニメや映画などのクリエーティブ産業に与える影響力も考えれば、花街は京都産業にとってはかり知れない存在価値があります。

 ――ご自身の花街との縁はいつから?

 大学生のときです。おやじ(立石一真〈かずま〉=オムロン創業者)が余暇に先斗町(ぽんとちょう)のお茶屋に出入りして、小唄をうたったり、芸舞妓の舞を楽しんだりしていました。あるとき、「お前もついてこい」と。それから次第に芸舞妓の顔なじみが増えました。

 ――学生時代は能楽にハマっていたそうですね。

 高2で始めました。おやじが当時、先々代の梅若六郎師匠について、能の謡曲を熱心に稽古していました。謡曲にはシテやツレ、ワキの役がいりますから「手伝ってくれ」と。大学のクラブ活動は古典芸能に魅せられ、中・高までのバレー部を辞めて能楽部に。入学早々、座りっぱなし、謡いっぱなしの合宿で、3日目にして血を吐きました。京舞の井上流には能の形が取り入れられていて、芸舞妓の舞や、三味線や唄を担当する地方(じかた)にも興味を持ちました。

 ――ツケで芸妓の舞を鑑賞しに祇園へ出かけ、したたか酔って大目玉を食らったこともあったとか。

 夜半に自宅へ戻ると、おやじが「遊ぶんやったら、おまえが稼いだカネで遊べ」。応接間で1時間、懇々と叱られました(笑)。

 ――花街は接客にも利用しましたか。

 会社(オムロン)では営業畑で、営業部長や常務のころから利用するようになりました。賓客、いわゆるVIPを招待する場ですから、お茶屋で無粋な商談をすることはまずありません。相手を招く段階で、すでに話はほぼ終わっている。その商談が最終的に「GO」となるためのセレモニーみたいなものですね。

 ――結果は「NO」にはならなかったですか。

 「NO」なら返金してもらわないと(笑)。

 ――おおきに財団は花街の振興のためにどんな取り組みをしていますか。

 花街にある学校の授業や研修、また楽器の新調や補修など、伝統伎芸の後継者を育てる事業に対し、広く費用を補助しています。こうした事業が、結果的に伝統産業への支援にもつながると考えています。

 ――花街の文化を継承していくうえでの課題は。

 ひとつは、各花街の伝統伎芸を発信する拠点になっている歌舞練場の老朽化が進んでいる点です。現在、祇園甲部の歌舞練場が休館中で、春の「都をどり」などの会場確保に苦労しています(※今年は南座で開催)。他の歌舞練場も傷みが進んでいます。以前から改修、改築の費用を補助していますが、今後もできる限り支援をしていきます。

 ――ほかには。

 芸妓、とりわけ地方(じかた)の減少が顕著なことです。1995年には五花街全体で65人いましたが、現在は4割も減って39人しかいません。

 ――戦前には、地方は数百人を数えたそうですね。いま舞妓は五花街で73人いて、95年当時とさほど数が変わりません。なぜ地方が減ったのでしょう。

 年配の地方さんが辞めていく一方で、舞手である立方(たちかた)に比べて認知度が低く、若手が入ってこない。稽古が厳しい、人間関係が合わない、結婚を機に辞める。様々な理由が考えられますが、先行きが不安定で、将来の生活に安心や夢を描きにくいことが大きいのではないでしょうか。

 ――ではどうしますか。

 屋形(置屋)から独立し、舞妓から自前の芸妓になる段階で経済的な負担が大きい、との声があり、着物を新調する際に財団が補助する制度などを始めています。ただ根本は、花街やお茶屋を訪れるお客さんを増やしていくことでしょうね。

 ――でも花街は「一見(いちげん)さんお断り」では?

 花街の歴史や文化を守るために、「一見さんお断り」の原則はなくさないほうがいい。その代わり、別の方法で客を増やす創意工夫がいります。たとえばインバウンドの訪日客は、お茶屋には入れなくても、利用する料亭やホテルを通じ、お茶屋に芸舞妓の派遣を頼むことができる。従って、これからのお茶屋は、料亭やホテルなどがますますご贔屓(ひいき)先になっていくのではないかと思われます。

 簡単なことではありませんが、芸妓や舞妓が将来の夢を持ち、生きがいを持って務められるような支援策を、花街のみなさんの意見を聞きながら考えていきたい。

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 花街にゆかりのある人たちへのインタビューを随時、お届けします。(佐藤秀男)

《立石義雄(たていし・よしお)》 1939年生まれ。父親が創業した立石電機(現オムロン)に63年入社。社長、会長を歴任し、現在は名誉会長。2007年から京都商工会議所会頭を務める。16年、京都伝統伎芸振興財団の理事長に就任した。