「桃尻娘」で衝撃の作家デビューを果たし、「リア家の人々」「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」をはじめとする小説で戦後の庶民の実相をすくい取るなど、幅広く多彩な作品を発表してきた作家の橋本治(はしもと・おさむ)さんが29日、肺炎のため死去した。70歳だった。喪主は母美代子さん。

 1948年東京生まれ。東大在学中の68年、駒場祭のポスター「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている」で注目される。73年に同大卒業。イラストレーターを経て77年、「桃尻娘」が小説現代新人賞佳作に。女子高校生の一人称でつづるしゃべりの文体と衝撃的な告白という内容は、文壇も読者も驚かせた。翌年単行本化され、ベストセラーになった。

 斬新な古典の現代語訳でも注目をあびた。87~95年の「桃尻語訳枕草子」(全3巻)は「春って曙(あけぼの)よ!」という書き出し。91~96年、光源氏を語り手にした「窯変(ようへん)源氏物語」(全14巻)に続き、98~2007年の「双調(そうぢょう)平家物語」(全15巻)で毎日出版文化賞。

 08年3月の「双調平家」完結を祝う会では、400字詰め原稿用紙で「源氏9700枚、平家8700枚」と明かし、「昭和が終わって源氏をやり、世紀の変わり目に平家をやり。大したことはやってないと思うし、どこまでやれば大したことなのかもわからない」と淡々と語っていた。

 エッセーや評論も膨大に残した。95~07年の「ひらがな日本美術史」(全7巻)では仏像や絵巻を大胆に読み解いた。オウム真理教事件を機に執筆した「宗教なんかこわくない!」で96年に新潮学芸賞。02年に「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」で第1回小林秀雄賞。04年、日本人の思考をたどる文化論「上司は思いつきでものを言う」はベストセラーに。短編集「蝶(ちょう)のゆくえ」で05年、柴田錬三郎賞。09年から10年にかけて刊行した「巡礼」「橋」「リア家の人々」は戦後史を市井の人々の人生に重ねた「戦後3部作」と呼ばれた。日本人の心性を探る試みは、18年に野間文芸賞を受けた長編小説「草薙の剣」に結実する。古典芸能にも造詣(ぞうけい)が深く、歌舞伎に関する著書もある。

 団塊の世代に属しながら、孤高を守り、独特のシニカルな視点で現代を見つめる作家だった。集団的自衛権や憲法改正などの時事的なニュースを受けて、本紙にたびたび寄稿やインタビューを掲載。政府や有権者にも苦言を呈した。

 18年6月に「上顎洞癌(じょうがくどうがん)」の診断を受け、療養していた。18年12月の野間文芸賞は贈呈式を欠席し、編集者が受賞スピーチを代読。祝いの品は原稿用紙がいいと希望して「原稿用紙を前にすると幸福になる人間でした。目の前に原稿用紙が見えたら成り行きで一歩一歩、歩いていこうと思います。最後までいけるかどうかわかりませんが、あてどのない生き方が自分にはふさわしい。ちなみに次の小説のタイトルは『正義の旗』です。あ、言っちゃった」とメッセージを寄せていた。

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 〈解剖学者の養老孟司さんの話〉 そんなに悪いとは知らなかったので、訃報(ふほう)を聞いて驚いている。ともに選考委員を務める小林秀雄賞の選考のときなど意見を交わすことが多かったが、橋本さんは表現しにくい微妙なことも「ああそれそれ」という風に一言で言い当ててくれる。考え抜いた意見の持ち主だったし、本当の意味での常識家とも言える。同じ歴史を書くのにしても、現代の感覚でとらえているのにピントを外さず、そういう意味で天才的だった。ぼくよりも10歳ほど年下とまだ若い。現代社会への批判についても聞いてみて、参考にしたかった。

 〈思想家の内田樹さんの話〉 若い頃から橋本さんの著作が大好きで、ほぼ網羅的に読んできた。業績は多岐にわたり位置づけしにくい面はあるが、文体も選択するテーマも「こんなことまでやっていいのか」という作品を平然と仕上げ、しかも成功した。そんなスケールの大きな仕事ぶりを自分も見て、物書きとして前線がひろがったように思う。仰ぎ見る人だけど、十数年前にお会いしてから兄のように慕ってもいた。ぜひもう一度、お会いしたかった。