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大石勇次郎さん(1927年生まれ)

 北九州市門司区の大石勇次郎(おおいしゆうじろう)さん(91)は2018年11月、長崎市若草町の聖マリア学院小学校にいた。修学旅行で訪れた母校の北九州市立白野江小学校の児童に付き添うためだ。

 爆心地から1キロほどの聖マリア学院小にはL字形の原爆遺構がある。原爆投下時、大石さんが暮らしていた三菱長崎造船所の清明寮の跡とみられる。大石さんが同僚たちを失った場所。遺構を囲むように立った両校の6年生たちを前に、大石さんは被爆当時のことを語った。

 大石さんは10年以上前から、母校や近隣の小学校で被爆体験を語っている。長崎への修学旅行にも毎年、自費で合流してガイドをしている。一昨年からは修学旅行のコースに聖マリア学院小を組み込んだ。より児童たちの心に残るのではないかと考えた、母校の校長の発案だった。

 これまでも一人でこの地を訪れてきた大石さん。「友達の弔いのため、長崎に行くんです」。そう語る。

 大石さんは大分県臼杵市で生まれ、福岡県門司市(現北九州市門司区)で育った。小倉工業学校(現福岡県立小倉工業高校)を卒業し、三菱長崎造船所に就職。長崎市の清明寮で暮らし始めた。

 戦況が悪化していた1945年夏。大石さんは休暇をとり、実家で2、3日過ごそうと考えた。8月7日に長崎を発ち、8日朝に門司の実家に戻った。ところが、父親から「こんな時に何をしているんだ!」と叱られ、その夜、長崎にとんぼ返りした。9日朝、寮に戻り、非番の友人と遊ぶ約束をした。当時は映画を見に行くのが楽しみだったという。

 寮の食堂に行くと、寮母が「今日はご飯を食べない人がいるから、食べんね」と、寮長に内緒で朝食を出してくれた。非番の人に朝食はなかったが、この日は残っていた。門司から戻ったばかりでおなかをすかせていたので、寮母の優しさがうれしかった。

 朝食後、遊びに行くために玄関で同僚を待っていると、寮長と出くわしてしまった。「何しているんだ」と聞かれ、「今日は休み」と答えたが、「仕事に行け。はよ行け」と厳しく促された。大石さんが仕事に行くことは同僚に伝えるからとも言われた。当時は親や上司たちの言うことには逆らえなかった。

 大石さんは路面電車と連絡船を乗り継ぎ、渋々、三菱長崎造船所の工場に向かった。

 出勤してしばらくすると、空がピカッと光り、ドッカーンという大音響とともに、トタン屋根と土煙が舞い上がった。「えらい爆弾だ」。爆心地から3キロ以上。山に隔たれていたこともあり、爆弾が落ちた市内の様子がわからなかった。

 夕方、仕事を終えて寮に戻ろう…

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