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 1945年8月6日、13歳だった小方(おがた)澄子さん(87)=広島県廿日市市=は、体調不良で建物疎開を休み、自宅にいた。広島女学院高等女学部の同級生の多くが作業中に原爆で亡くなり、罪悪感を抱えて生きてきた。だが、70歳を過ぎて始めた証言活動によって、その思いが徐々に変わってきたという。

 その日は具合が悪く、自宅にいた。爆心地から約700メートルの広島市西新町(現・中区土橋町付近)。トイレを出た瞬間、轟音(ごうおん)とともに家が潰れ、気を失った。

 「澄子!」。同居していた叔母(当時32)の叫び声で意識を取り戻し、がれきからはい出した。叔母と2人で、2人の弟をおんぶし、西へ歩いた。

 一帯は火の海。がれきの下から…

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