堺屋太一さんは1998年7月から2年間、小渕恵三内閣と森喜朗内閣の目玉閣僚として経済企画庁(当時、現・内閣府)長官を務めた。日本経済がバブル崩壊の後遺症に苦しんだ時期。かねて政府の景気判断が遅れ、有効な手を打てなかったと批判していた堺屋さんは、正確な景気判断とわかりやすい説明を掲げた。

 その象徴が自身の発案で2000年に始めた「景気ウォッチャー調査」だ。タクシー運転手や飲食店経営者、小売店の店長ら約2千人に景気の現状を聞いて指数化するもので、多くの経済指標の中でも景気の動きをいち早くつかめると評価されている。

 金融不安に揺れた1998年11月には、景気底入れの兆しを先んじて見通し、「変化の胎動も感じられる」と表現した。

 一方で、財政再建よりも景気回復を優先させる政策の理論的支柱も担い、歴代政権による度重なる財政出動で国の借金残高は膨らんだ。00年12月の長官退任後も内閣特別顧問を務め、現在の安倍政権下でも内閣官房参与として助言してきた。

 出身地の大阪では大阪証券取引所の社外取締役を務め、関西空港の機能強化など「関西復権」を訴える経済人の代表格だった。(森田岳穂)