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(2014年4月7日~18日夕刊「人生の贈りもの」掲載)

大阪万博の成功、生涯のハイライト

 ――通商産業省(現経済産業省)の官僚だった1960年代、いち早く万国博覧会の日本開催を訴え、企画に携わり、70年に実現。34歳でした

 生涯の思い出、いや、人生のハイライトかもしれません。

 ――大阪万博が開会した3月14日の思い出は

 みぞれ混じりの雨でした。お祭り広場の大屋根の下を参加した77カ国の代表が国旗を掲げて進む中、昭和天皇が身じろぎもせずにお立ちになっていた姿を覚えています。

 ――人気のパビリオンに長蛇の列ができました

 冷戦下でアメリカと旧ソ連が宇宙開発を競った時代です。アメリカはアポロ、ソ連はソユーズと実物の宇宙船を展示し、話題になった。前年に月着陸を成功させたアメリカは、開幕直前に「月の石」を披露すると決めました。ソ連館にはないだろう、と。私がアメリカ館で迫力を感じたのは、アンディ・ウォーホルなどの現代美術でした。

 ――堺屋さんは政府出展の日本館を企画しました

 桜の花びらをイメージした五つのドームを造り、神話の時代から現代の工業大国日本まで、日本の歴史を五期に分けて表現しました。話題をさらったのは、映画監督の市川崑(こん)さんが撮影した日本の風景。8枚のスクリーンを組み合わせた巨大画面で上映する試みは画期的でした。中小企業の合同館「生活産業館」もプロデュースし、中小企業でも安価で出展できるようにしました。貴金属会社が純金で月面を再現するなど、各企業ならではの展示でした。

 ――民間パビリオンは?

 三菱未来館は映画「ゴジラ」のプロデューサーだった田中友幸さんを起用し、見る人を取り巻く360度のスクリーン映像で火山の噴火などを疑似体験させる仕掛けが評判でした。

 ――気鋭の芸術家岡本太郎さんや、建築家丹下健三さんらの晴れ舞台になりました

 太陽の塔は岡本さん、お祭り広場の屋根は丹下さんの設計です。構想段階で太陽の塔の位置について、岡本さんはお祭り広場の南側、丹下さんはお祭り広場の屋根で胴体を巻く形、と2人の自己主張が爆発しました。最終的に私が間に入り、お祭り広場の屋根の真ん中に穴を開け、そこに太陽の塔を通す形で納得してもらいました。

 他にも建築家は西山夘三さん、磯崎新さん、曽根幸一さん、デザイナーは森英恵さん、コシノジュンコさん、石井幹子さんら若手を起用しました。

 ――大成功でした

 夏休みには1日80万人が訪れました。20代前半だった団塊の世代が、小さな子どもを連れ歩く姿が目立ちました。会期183日間の入場者総数6421万人。2010年の上海万博に抜かれるまで世界記録でした。

     ◇

〈さかいや・たいち〉 1935年生まれ。作家、経済評論家。著書は「団塊の世代」「峠の群像」など多数。小渕恵三、森喜朗内閣で経済企画庁長官。

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「一億玉砕」に疑問、先生に殴られた

 ――本名は池口小太郎。ペンネームの堺屋太一は先祖の名前だそうですね

 1585年の大坂城築城に伴い…

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