堺屋太一さんと親交があった田原総一朗さんの話

 親交があったジャーナリスト、田原総一朗さんの話 堺屋さんとは、自民党に言うべきことを言うNPO法人「万年野党」の会で一緒に活動していた。最近もシンポジウムでお会いした。私よりも一つ下で、早すぎる死に驚いている。

 新しい傾向をいち早くつかみ、時代の先取りをすることができる稀有(けう)な人だった。通産官僚、池口小太郎としては1970年の大阪万博を大成功に導き、作家としてはオイルショック(石油危機)を予見した「油断!」(75年)、第1次ベビーブームの世代に焦点をあてた「団塊の世代」などのベストセラーを生んだ。

 官僚は言われたこと、決まったことをやる仕事。ところが、堺屋さんには経済や社会に対する鋭いものの見方とビジョンがあった。後にも先にもいないタイプで、当時から目立っていた。官僚時代からしょっちゅう会って話したし、講演旅行で米国などを一緒に回ったこともある。

 堺屋さんはものづくりからの転換を唱え、いまでいうIT化、インターネットの重要性を説いた。情報化社会の到来を予言した「知価革命」という言葉もつくった。小渕内閣や森内閣で大臣も務めたが、けっして従来型の保守ではない。大阪維新の応援団でもあった。

 バブル経済後の平成の時代はうまくいかない、という時代の閉塞(へいそく)感を描いた「平成三十年」もよく読まれた。平成は結局、改革が進まなかった時代。日本は、米国発のGAFAなどの巨大IT企業に2周も3周も遅れている。どうすればいいのか、もっともっと彼と議論したかった。(大内悟史)