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 「最期の時には、周りに迷惑をかけたくない」。あなたもそう思うでしょうか。日本人らしい意識なのでしょうか。その思いの背景や真意は何か。日本人独特の意識なのか。そもそも「迷惑」とは何なのか。看護、歴史、文学、文化人類学など幅広い人材を集めて「迷惑」をとことん追究し、新しい介護・みとりを目指す研究チーム「〈迷惑〉研究会」ができた。代表を務める岡山大大学院ヘルスシステム統合科学研究科の本村昌文教授(近世日本思想史)に研究の目的と内容を聞いた。

 ――「周りに迷惑をかけたくない」という思いに注目したのはなぜですか

 20年近く前、東北大で江戸時代の死生観を研究しはじめた頃、地元の酒場で在宅ホスピスをしているベテラン医師と出会いました。自宅で終末期医療を受け、死を迎える在宅医療がまだ普及していない時代です。「なぜ病院から家に戻る人が少ないか分かるか? 家族に迷惑をかけたくない、という意識なんだよ。医療の問題じゃない。君たち人文学者ががんばらないと、最期の医療は変わらない」と言われました。考えたこともなかった視点で、新鮮な驚きでした。

 ――「迷惑をかけたくない」という思いは、当たり前のように感じますが

 鎌倉時代の随筆「徒然草」にも、同様の一節があります。当時からこういう考えが一般的だったのかもしれないし、似ているが異なる概念だったのかもしれない。現代の介護現場で話を聞くと「迷惑をかけたくない」という言葉の裏には、自身の自立が損なわれる状況への恐れやいらだちなどさまざまな本音が隠れているようにも感じます。

 ――「迷惑」の研究で、介護や終末期医療の現場が変わりますか

 「迷惑」を避けようとする意識は、老いや病への悪印象につながっていると思います。しかし子に対し親が「あなたに迷惑はかけない」という態度を100%達成すると、家族間でのコミュニケーションに支障が出るでしょう。介護する側は、負担が過重だとつぶれてしまいますが、適量な迷惑なら、見送った後の「やりきった感」につながるかもしれません。

 かけたくない「迷惑」が、実際には何なのか、迷惑をかけたくないという人は本当は何を求めているのか。「迷惑」の正体を分析し、適切な量や質を見極められれば、現場でのより適切なアプローチにつながると思います。

 迷惑とは、小骨がのどに刺さりながら生きている感じではないかと感じています。大手術でとるほどでもないが、ちくちくと痛み、苦痛や不快感がずっと続きます。迷惑の研究は小骨をうまい具合に取る方法を探ることかもしれません。

 ――どのように研究を進めるの…

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