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 爆心地から1・5キロで被爆した府中町の中村玄(ふかし)さん(87)は、父と兄を失った。被爆証言だけでなく、「客観的な事実」をあわせて伝えることが重要だと考えている。「痛かった、熱かったと語るだけでは伝わらないでしょう」。過酷な体験をしながらも繰り返しこう語る、その理由を尋ねた。

 6人きょうだいの次男で、父・力さん(当時48)は開業医だった。1945年8月6日、広島市東千田町(現・中区)の広島高等師範学校付属中学(現・広島大付属中)へ登校。学校近くの農園へ仲間と向かう道中、突然カメラのフラッシュのような強い光に包まれた。宙に浮いた――そう思った次の瞬間、崩れた家屋の下敷きになっていた。

 必死に抜け出して比治山橋まで歩き、トラックに乗せてもらった。宇品町(現・南区)の広島陸軍共済病院(現・県立広島病院)や陸軍船舶司令部(通称・暁部隊)を経て、楠那国民学校(現・楠那小)へたどり着いた。

 学校は避難者が押し寄せ、座る…

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