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 あのとき、爆心地から1・5キロの広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に、私(記者)の祖母はいた。地元は備後だが、看護学校に通うために広島に出ていた。祖母は4年前に89歳で他界し、その後に赴任した広島で私は、同じ場所で被爆した女性に出会った。祖母が見た風景とは――。その女性に尋ねた。(宮崎園子

 「従軍看護婦になって尽くそうと思って」。広島市西区の上野(旧姓・森本)照子さん(89)は言った。「女子には、それ以外にお国のためになることがなかったけえね」

 兄に教わりながら、明け方一番鶏が鳴くころまで勉強した。受験後、郵便局に勤める親戚のおじさんが合格通知を手に学校に駆け込んだ。後に18倍の倍率だったと聞いた。20キロ以上離れた佐伯郡砂谷村(現・広島市佐伯区湯来町)の実家を出て、寄宿舎生活を始めた。1944年春のことだった。

 午前中は基礎医学の勉強。午後…

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