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 新しい旅立ちの日を間近に控え、第三セクター三陸鉄道の宮古駅(岩手県宮古市)は準備に忙しい。駅前のカウントダウンボードは12日朝、「開通まで11日」に変わった。構内にはリアス線開業を伝えるパンフレットが並ぶ。

 2011年3月11日から8年。不通区間だったJR山田線の宮古―釜石間が三鉄(さんてつ)に経営移管され、23日、リアス線として再出発する。県内の久慈―盛(さかり)間163キロが1本の鉄路でつながる。

 宮古駅の開業は1984年4月1日。同社旅客営業部副部長の冨手淳さん(58)は、その日の光景を今も鮮明に覚えている。「駅周辺が人であふれていた」。冨手さんは三鉄の1期生だ。熱気は、駅前に残る碑文からも読み取れる。「我等(われら)の先輩が 鉄路への志を発してより九十年」「今ぞ南北に鉄道を打ち貫く」

 歴史は1896年6月の明治三陸大津波に遡(さかのぼ)る。復興を願う沿岸の住民らが翌7月、鉄道会社の創立申請趣意書を国に提出した。名は「三陸鉄道」。だが計画は頓挫し、建設が再び動き出すのは昭和の高度成長期だ。明治以来の夢は高まったが、国鉄の経営が悪化。久慈、宮古、盛の赤字3路線は途切れたまま残された。それを引き継ぎ、結んだのが今の三陸鉄道だった。

 地元は沸き立ったが、冨手さんは「前途は大変な道のりだろう」と感じていた。もともとはお荷物路線。「こたつ列車」「お座敷列車」などを企画し、売り込みに奔走した。「沿線の人口減少が予想以上だった」。鉄路維持に必死だった。

 そして、あの日が来た。

 冨手さんは宮古駅2階の本社にいた。激しい揺れ、津波は駅の手前まで押し寄せた。ホームに止まっていたディーゼル車のエンジンがかけられて電気がついた。明かりが確保できたのは、ここだけ。ホワイトボードが持ち込まれ、災害対策本部になった。沿線を回ると、レールは途切れ、駅も橋も消えていた。

 少しにぎわいが戻ったのは20…

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