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 バブル崩壊で始まった平成の日本経済は、モノやサービスの値段が下がり続けるデフレに見舞われた。3度の金融危機がその傷口を広げた。戦後最長といわれる景気拡大が続く今となっても、政府が掲げた「デフレ脱却」は未完のまま、平成は終わりを迎える。

「脱却」狙い不良債権処理

 2003年10月8日、金融庁に匿名の電話がかかってきた。東京・大手町にそびえていたUFJ銀行(現三菱UFJ銀行)の東京本部ビルに金融庁が検査に入った翌日のことだ。

 「検査前に大口債務者の審査資料を(別室に)移している」

 翌日、検査官が情報提供に基づいて会議室に入る。足の踏み場もないほど、段ボール箱が積みあげられていた。ざっと240箱。ダイエーや商社など融資先の実態を示す資料だった。

 「融資先の業績が改善する楽観シナリオを前提に、不良債権の額を低く見積もっていたことがわかった」。のちに金融相として旧UFJを「検査忌避」で刑事告発した伊藤達也衆院議員(57)は、こう振り返る。

 銀行が抱える不良債権の処理で「デフレ脱却」に取り組んだ小泉純一郎政権は、銀行の検査を厳格化した。山一証券や日本長期信用銀行などの相次ぐ破綻(はたん)を経て、「護送船団方式」は過去のものになっていた。

 物価の下落が続くデフレ。00年代初め、日本マクドナルドのハンバーガーや吉野家の牛丼は大幅な値下げに踏み切り、時代を映す商品となっていた。「価格破壊」が激化していた。暮らしにはありがたいように見えて、経済の悪循環を招きかねないのがデフレのわなだ。

 物価が下がって企業の売り上げが振るわないと、賃金の下落を呼び消費が低迷する。供給が過剰になり、またもや物価の下落につながる――。日本経済は崖っぷちにあった。

 わなから逃れるためにも、不良債権の早期処理が必要だった。マネーを企業に流す銀行の機能を損なっていたからだ。五味広文・元金融庁長官(69)は「事実上破綻していた金融機関を処理したら、新しい不良債権が猛烈な勢いで発生した。経済が壊れていた」と語る。日経平均株価は03年春に7607円のバブル後最安値を記録し、失業率は最悪の5%台を続けた。

 不良債権処理がもたらした金融危機は借り手の企業も直撃した。危機に直面しても不都合な真実から目をそむけ、問題を先送りする空気が根強かった。

 不良債権の象徴だったのがダイエーだ。旧UFJの検査忌避が発覚した直後、小売業を所管する官庁として、「自主再建」をはかっていた経済産業省の幹部が金融庁に申し入れた。「国策として再建している。その点を踏まえて検査してほしい」

 銀行検査への異例の介入だった。経産省は自らが主導する再建にこだわったが、ダイエーは最終的に、政府の産業再生機構の支援を受けることになる。

 「ダイエー再建には決定的な阻害要因があった」。小泉政権で「金融再生プログラム」をつくり、金融相として不良債権処理を進めた竹中平蔵・現東洋大教授(67)は、官民ともに失敗を認めない体質を指摘する。

 「経産省も銀行も大企業も同じだった。失敗に終わったバブル期の計画も『会長が社長のときにやったものだから』と温存し、不良債権処理が遅れた」

 「いいものを安く」で消費者の支持を得たダイエーも、昭和の成功体験に縛られていた。

 「総合スーパーはやめて食品に特化し、コンビニなどのグループ企業を中心に生き残りましょう」。業績不振の1997年、ダイエーの恩地祥光・経営企画本部長(64)が進言すると、創業者の中内功社長は「気でも狂ったんか」と答えたという。

 家電も衣料も売るダイエーはユニクロやヤマダ電機との競争に敗れた。ほどなく社を去った恩地氏は「中内さんはダイエーに入れる店も関連企業にこだわった。マクドナルドすら入れない。お客さんが一番いいと思う店を選ぶべきだった」と話す。

 いくつもの企業が破綻し、銀行は不良債権処理で100兆円近くもの損失を出した。それでもデフレは続いていった。

悲観主義が日本経済覆う

 小泉政権が06年9月に退陣する直前、政権内に「デフレ脱却宣言」を探る動きがあった。

 日本銀行はその年の春、物価が…

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