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 前回は病理学が病気を研究する学問であり、感染症の診断においても有用であることを解説しました。

 感染症には様々な種類があり、病理標本で病原体そのものを見いだす割合は予想外に高くありません。と言うのも、抗生剤ですでに病原体が死滅している場合や、病原体が一様に分布せず、顕微鏡で調べたプレパラート内に病原体が存在しない場合があるからです。そこで、病原体が感染している周囲の組織の反応を見て、感染症の可能性を推測することもよくあります。

 病理診断で最も遭遇する機会が多い感染症に、ヘリコバクター・ピロリ菌(HP)があります。「ヘリコ」はらせん、「バクター」は細菌、そして「ピロリ」は胃の一部のことで、「胃に見られるらせん型の細菌」という意味です。

 幼児期に感染する細菌で、土壌や井戸水に含まれています。HPの感染者は40歳以上に多く、その理由として昔は衛生状態が良くなかったため、飲料水から感染したと考えられています。今は衛生状態も良くなり、飲料水よりも母親から子どもへの食べ物の口移しが幼児に感染する主な原因になっています。

 経口摂取されて人の体に入ったHPは胃に感染します。胃の中は胃液が分泌されるため強酸の環境であり、通常細菌は殺菌されます。従って、長い間胃の中には細菌はいないと考えられていました。

 1983年にオーストラリアの病理医がHPを発見し、後にノーベル賞を受賞しました。HPは自身の周囲をアルカリ化して中和することにより胃の粘膜に生息していたのです。HPに感染することにより、胃炎や胃潰瘍(かいよう)を起こします。それだけでなく、胃がんや胃の悪性リンパ腫といった腫瘍(しゅよう)の原因にもなることが分かっています。

 HPの病理診断についてお話ししましょう。

 胃の内視鏡検査を行う時、胃の組織をほんのわずか採取します。前回お話ししたように、採取された組織はホルマリンで固定され、その後、病理検査室の技師の手で薄く切られ、プレパラートに貼り付けられます。そして、ヘマトキシリンとエオジンの2種類の染色液で染色します。それを顕微鏡で観察すると、HPに感染した胃では粘膜表面の粘液の中に「ひねりかりんとう」のようならせん型の小さなHPが存在しているのが分かります。

 しかし、HPの数が少なかったりすると、ヘマトキシリンとエオジンではうまく染色できず、病理医がHPを観察できないことがままあります。そのような時は、病理標本にHPだけ色をつけて可視化することも可能です。これは免疫染色といわれる技術で、特定のたんぱく質に色をつけ、標本におけるその存在および組織中の存在部位を顕微鏡で観察できるようにします。

 病理学の強みは菌体と生体組織を含めた観察が可能ということです。では、HPの感染はその周囲組織にどのような病理学的変化を起こすのでしょうか?

 HP感染により、初期では胃粘膜内にリンパ球や好中球という種類の炎症性細胞が増えてきます。つまり、炎症を起こすわけです。前回お話ししたように、炎症とは生体における防御反応です。しかし、炎症の程度が過剰であったり、持続したりすると、私たちの体に害を与えます。胃の場合は、腹痛や吐き気、胃もたれなどの症状として現れます。さらに炎症が長期間続くと、今度は胃粘膜の細胞が消失して萎縮してきます。

 胃粘膜が萎縮すると、胃の細胞の代わりに胃酸を産生せず、腸液を産生する腸型の細胞が増えてきます。その結果、胃酸を産生できなくなるので消化不良を起こします。さらに、喫煙やしょっぱい食べ物など生活習慣が関係していると考えられていますが、代わりに増えてきた腸型の細胞からがんが発症してきます。

 私たち病理医は標本を見ることによって、HPの存在とともに胃粘膜の状態、つまりただの炎症か、萎縮を伴ってきているのか、腫瘍ができているかといったことも観察し、その結果を、病理診断を依頼してきた医師に報告しています。

 現在では抗菌薬を内服することによりHPの除菌が可能です。治療後の胃組織を顕微鏡で観察することにより、除菌がうまくいったかどうか、除菌後の胃の粘膜における炎症の程度はどの程度かといったことを同時に評価します。

 病理医による感染症の検査が単に病原体が存在するか否かを見る病理検査でなく、あくまでも病理診断であるのは、臨床医と同じく患者さんの体の状態も評価しているからなのです。

<アピタル:弘前大学企画・今こそ知りたい! 感染症の予防と治療>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/hirosaki/(弘前大学大学院医学研究科分子病態病理学講座教授 水上浩哉)