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 100年のルーツを持つショッピングセンター「タカノ橋こうせつ」(広島市中区)が、3月いっぱいで閉鎖され、その役目を終える。戦前の公営市場の頃から長く親しまれてきた。活気にあふれた庶民の台所。商店主や常連客らからは、惜しむ声が相次いでいる。

 温かみのある電球に照らされた通路の両脇に、精肉店と青果店、鮮魚店の計4店舗が並ぶ。店先の陳列ケースには脂ののった牛肉の塊が並び、隣には、山盛りになった色鮮やかなかんきつ類も。最盛期、約20店舗がひしめき合っていたが、今はシャッターが目立つ。

 1919(大正8)年、一帯に公営市場が作られた。繁華街に近く、そばには水運が盛んだった元安川も流れていたため、地の利があった。

 しかし45年8月6日、爆心地から約1・2キロにある一帯は、原爆によって焼け野原に。新長(しんちょう)謙三さん(78)の父が市場近くで営んでいた精肉店も跡形もなく消えた。新長さんは現在の廿日市市に疎開していて無事だったが、母と祖父、兄と2人の弟は亡くなった。

 その1年後、公設市場として再開し、連日のにぎわいが戻った。「こうせつ」の名はここに由来するという。バラックの店が立ち並ぶ中、新長さんも復員してきた父と一角に店を構えた。復興に向かう街。精肉が飛ぶように売れた。

 青果店を営む青木清英さん(71)も、その頃の様子をよく覚えている。「子どもがいっぱいおったんよ。店の前でビー玉やメンコで遊んだり、紙芝居を見に行ったり。市場でよく黒砂糖を買って食べよった」

 78年に今の建物が完成すると、各店は一層繁盛した。青木さんは「大みそかは身動きがとれんくらい。向かいの店に並んどる人たちが、うちの中まで入ることもようあった」と目を細める。

 しかし、大型スーパーマーケットの進出や近くにあった広島大学の移転、バブル経済の崩壊……。2000年代になると後継者がいなくなり、衰退に拍車がかかった。

 再開発の話が持ち上がったのは16年ごろ。時代の波には勝てなかった。隣接する一部の建物も立ち退く予定だ。跡地には複合商業施設の建設計画もあるが、具体的には決まっていないという。広島市中区の舟入から通う常連客の女性(68)は「ここでは新鮮なものが何でもそろったし、おいしい調理法も教えてくれた。人情味がありました」。

 商店街振興組合の理事長も務める青木さんにとっても苦渋の決断だった。自身は立ち退きには応じたが、すぐ向かいの空き店舗に移る。「寂しいんじゃけど、新しいタカノ橋が始まると信じて前を向くしかないのぉ」(高橋俊成)