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 2人の女性が「あのー」と、相談に見えた。「母親が膵(すい)がんの末期で、家に帰りたいって。ひとり暮らしなんですよ」。患者さんの年齢は87歳、家は鳥取市から20キロ離れた漁村。今は総合病院に入院中で退院後は自分たちと孫たちが交代でみると。主治医からの紹介状も持っておられた。「分かりました。在宅ひとり死、やってみましょう」と力を入れると、「いや、必ず誰かがいるようにしますから!」。

 退院はすぐに決まり、その日のうちにわがチーム、家へ直行。日本海が見えウミネコが舞う村。イカ釣り船を左に見て、大通りを右に曲がった角に古い雑貨店、左角に人ひとりがやっと通れる路地、その向こうに患者さんの家があった。おかしいものである。どの家にもその家独特の雰囲気があるが、自然の中にある集落や家だと、こちらの共鳴装置が無意識に作動してくる。

 「よろしく」と私。「こちらこそ、たのみます」と弱々しくその女性。顔も手足も腫れている。自分の力では寝返りできない。娘さんにお粥(かゆ)やみそ汁、ヨーグルトを口元に運んでもらってる。点滴も酸素吸入もなーんもない自然な形を、患者さんも家族も希望した。これはこれで味がある。

 次の往診の時、笑顔があった。村の小学校の同級生が「元気かー」って、3人訪ねてきてくれたのだそうだ。80年前の同級生。小学校はとっくに廃校。人情が漂い、なぜか往診が楽しみになる。

 1月末の日曜日。衰弱は進んできた。枕元で聞いてみた。「家に帰って、一番よかったことはなんですか?」。少し間があって、「フウケイ」。記憶の中にある、ドローンが写し撮るような世界のことだろうか。「眺め? 漁村の風景のこと?」。患者さん、うんうん、と弱くうなずく。

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)

アピタル・徳永進

アピタル・徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師

1948年鳥取市生まれ。京都大学医学部卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始め、さまざまな死の形を臨床から報告。鳥取市にセミナーハウス「こぶし館」を建築し26年になる。