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 宮城県気仙沼市の佐藤信行さん(68)の元に昨年12月、7年9カ月を経て、妻の才子さん(当時60)の遺骨が帰ってきた。11日、市主催の追悼式で「家族とすべての財産を失いましたが、人とのつながりが財産になりました」と語った。

 杉ノ下地区で才子さんと母親のしなをさん(同87)と暮らしていた。妻は家業のイチゴ作りを支え、子ども3人との旅行を楽しみにしていた。

 あの日、家に残った2人は市の指定避難場所だった高台に逃げたらしい。だがさらに5メートル以上も高い津波が襲い、地区全体では住民の3割にあたる93人が犠牲になった。

 母はほどなく遺体で見つかった。佐藤さんは毎日のように海岸を歩き、才子さんを捜した。ため池の水を抜き、防潮堤の工事業者に頼み込んで海岸を重機で掘り返してもらった。青森の恐山では、才子さんを口寄せしたイタコが「何かに挟まれて身動きできない。捜さなくていい」と言った。諦めきれず「骨のかけらでも見つかれば区切りがつくから」と捜索を続けた。

 昨年秋、工事業者が、高台から500メートルほど離れた海岸の消波ブロックの陰から、ほぼ全身の骨を見つけた。DNA型や歯型などを照合し、才子さんと分かった。遺骨を警察署で受け取り、「苦しかったろう、つらかったろう、悔しかったろう」と声をかけた。その晩、1人で暮らす災害公営住宅で缶ビールを開け、遺影に向き合った。

 11日朝、冷たい雨に打たれな…

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