[PR]

 11日午後に東京都千代田区で開かれた「東日本大震災8周年追悼式」では、被災3県の遺族代表がそれぞれ壇上に上がった。発言の要旨は次の通り。

岩手県・高橋勇樹さん(41)=陸前高田市出身

 父さん、母さんいつも見守っていてくれてありがとう。母さん、まだ直接謝れていませんね。あの日、あなたが私の身を案じて言ってくれた言葉が最後になるなんて。今でもずっと後悔しています。無視したりして。

 8年前の今日、人の弱さと強さとそして温かさを知った避難所生活が始まり、あの日からずっと、母を待ち続けています。母の後を追うように亡くなった父の死を境に、二人の葬儀を執り行いました。親孝行を何一つできなかった自分。そして津波を知らずに育った両親と私。一生この空しさと悔しさを抱えて私は生きていくのだと8年経った今でも心が忘れさせない。

 私は、亡くなられた方々の尊い命の犠牲を胸にこれからも生きて震災の教訓を伝え続けていきます。一人で背負うのではなく、ともにこの時代を生きる仲間たちと一緒に。

福島県・叶谷守久さん(79)=浪江町出身

 あのとき感じた心の痛み、そして絶望は決して消えることはありません。巨大な津波により、私は最愛の妻を失いました。震災から約1カ月後に妻は遺体で発見されましたが、私が対面した時にはすでに火葬され、骨つぼを渡されただけでした。せめて自分の手で弔ってやりたかったと今も自責の念に堪えません。

 妻がいなくなって8年が過ぎました。今は、最愛の妻の笑顔と、ともに過ごした思い出を心に刻み、妻の分まで精いっぱい生きていこうと思っています。

 浪江町の復興は、地震や津波被害からの復旧のほか、避難住民や放射能の問題などまだ数多くの課題が残されている状況です。これまでにいただいた全国の皆さんからのご支援や励ましのお言葉を糧にして、復興に向かって一歩ずつ着実に歩を進めていくことを、犠牲となられた御霊に改めて誓い申し上げます。

宮城県・今野昌明さん(52)=女川町出身

 津波が一瞬のうちに家とともに足の悪い母をのみこみました。私は東京で仕事をしており、母だけが見つからないと聞きぼうぜんとしました。

 ようやく女川までたどり着きましたが、そこで目にしたものは、故郷の変わり果てた無残な姿です。私は言葉を失い、その場に思わず立ち尽くしてしまいました。母につながる手がかりは全く見つけることができませんでした。その後何度も足を運びましたが、見つけてあげられないという悔しさと無力さ、絶望の悲しみとつらさで、心の中に大きな穴が開いたままです。

 母さん、どこにいるのですか? 偶然残っていた母の毛糸の帽子を骨つぼに入れて、葬儀を行い、お墓に収めました。

 世界中からの心温まる支援のおかげで、復興が目に見える形で進んでいますので、安らかに天から見守っていてください。