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 「平成」「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の考案者の記録が残っていない――。公文書によって史実を証明するという手立てが失われていた。とりわけ「平成」については、考案者が2人いるのではという説が消えない。

 平成への改元から12年後の2001年。東京都内の教会で、東洋史の大家、山本達郎・東大名誉教授(享年90)の葬儀が営まれた。

 朝日新聞記者だった山下靖典氏(74)は、ある供花に目をとめた。

 「的場順三」。改元の実務を担った元内閣内政審議室長の名前だった。

 政治部記者として改元を取材し、山本氏の自宅を訪ねたこともあった山下氏は直感した。「平成」は山本氏の案だったのかと。まだ「平成」の考案者は明らかになっていなかった。

 さらに14年後。的場氏はテレビ番組と著書で、「平成」の考案者は山本氏だと初めて公言した。「自分の案としてはこういうのがあるんだけど、どう思う?」とやり取りする中で生まれたという秘話も披露した。

 ところが、番組には抗議が寄せられた。「『平成』は安岡正篤(まさひろ)さんが考案したはずだ」というのだ。

 埼玉県嵐山町にある安岡正篤記念館。安岡氏の足跡を紹介するパンフレットには、いまも「『平成』の考案者」の文字が躍る。

 陽明学者の安岡氏は歴代首相が指南を仰ぐなど、昭和の政財界に大きな影響力があった。改元前の83年末に死去。「物故者の案は使わない」という政府の不文律からすれば、考案者にはなり得ない。それでも安岡説がささやかれ続けるのには、理由がある。

 元号法が成立した79年、三原…

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