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 高校野球の選抜大会は23日に開幕する。出場する龍谷大平安(下京区)と福知山成美(福知山市)には、病気とも闘いながら、練習に打ち込んできた選手がいる。支えてくれた周囲への感謝を、甲子園でのプレーで伝えるつもりだ。

「克服できた」主軸手応え 龍谷大平安・奥村真大君

 龍谷大平安の三塁手の奥村真大君は1月、不整脈で心臓のカテーテル手術を受けた。苦しくなって練習を抜けたり、思い切りプレーできなかったりしたときもあったが、術後はそういうこともなくなった。「乗り越えたからにはすべて出し切りたい」。25日の津田学園(三重)との初戦が近づき、調整を続けている。

 異変を感じたのは中学3年の冬だった。硬式チームの練習の休みの日の夜、自宅近くを5キロほど走った後、胸が苦しくなった。「体力が落ちたんかな」。そのぐらいに考えていた。しかし、走ると動悸(どうき)がすることが増えていった。

 高校に入ると、症状はさらにひどくなった。練習中に駆け足で移動するときも胸が締めつけられた。長いときは1分ほどそれが続いた。同じ日に2回、苦しくなることもあった。

 昨年9月にティー打撃をしていると、苦しくてバットが振れなくなった。翌日、病院で不整脈と診断された。医師から「治すには手術しかない」と告げられた。もし失敗したら野球ができなくなるかも。すぐには手術を受ける決心がつかなかった。

 昨夏の甲子園では1年生で唯一のベンチ入り。秋の大会でも同学年でただ一人レギュラーに食い込み、5番打者に定着した。秋以降の公式戦では12安打8打点。履正社(大阪)との近畿大会準決勝では、左越えの3点本塁打を放った。主軸として期待に応え、近畿大会優勝に貢献した。

 しかし、その大会期間中も不整脈と闘っていた。動悸がして練習を途中で抜けることが何度かあった。ノックでは、胸を地面に打ちつけるダイビングキャッチは避けた。体を心配した遊撃手が練習中、三塁寄りの打球も捕りにきてくれるようになった。

 原田英彦監督(58)には昨年12月、「手術したほうがいいでしょうか」と相談。監督は「早く治してチームの主力になれ」と助言した。年明けに5日間入院し、患部を焼く手術を受けた。手術は成功し、退院2日後から練習に参加できた。「相当しんどかったけれど克服できた。精神面の成長もみせたい」

 ダイビングキャッチもヘッドスライディングももう怖くない。走攻守で全力をぶつけるつもりだ。(川村貴大)

元気な声「勇気もらって」 福知山成美・小西公一郎君

 福知山成美の捕手で背番号14の小西公一郎君は、腎臓の難病「ネフローゼ症候群」と向き合っている。家族に心配されながらも、小学校4年のときに野球を始めた。入院治療と再発を繰り返してきたが、今は症状が安定。週1回は検査キットで自身で尿検査をして体調を確かめながら、追い込みの練習を続けている。

 病気がわかったのは2歳のときだった。尿に多量のたんぱくが出て、だるさを感じるネフローゼ症候群だった。だるさが出たときにたんぱくの数値を元に戻す薬を飲むと、免疫が下がり骨がもろくなった。年数回、1~2週間の入院をした年もあった。小学校に入る前、主治医からは「体育の授業はできないだろう」とも言われていた。

 自宅近くの滋賀県野洲市の病院に入院中、病室の窓から見えたのはグラウンド。地元の少年野球チームが練習していた。小西君が小学1年のとき、そのチームが全国制覇。近所に住む6年生がエースだった。「めっちゃかっこいい」。投げる姿に憧れた。

 野球をやりたい。家族もやらせてあげたい。ただ、体調を心配し、両親は決めかねていた。4年生になると入院は年1回に減ったため、あこがれの先輩がいたチームに入った。野球が楽しいせいか、再発してもだるさを感じなくなったという。

 母親は塩分を控えた食事をつくり続け、主治医も熱心に相談にのってくれた。中学で入った硬式チームでは、5学年上のOBが同じ病気だった。監督は「具合が悪なったら言ってこいよ」と心配してくれた。

 母方の祖母は福知山市で暮らしている。そんな縁から福知山成美が5年前の選抜に出たときに甲子園に観戦に行き、ここに入りたいと決意した。

 新チームになり、監督は「声が出ていない」と指摘した。盛り上げ役の小西君はさらに大きな声を出すようになった。岡田健吾主将からは毎試合前、「ベンチを頼むぞ」と声をかけられる。26日の筑陽学園(福岡)との初戦でも声を響かせるつもりだ。

 これまで再発は17回。中学2年だった2015年末が最後だ。「ネフローゼでも野球ができ、甲子園にも行ける。同じ病気の子に勇気をもってもらいたい」(高橋豪)

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