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 浜田市教育委員会は、同市殿町の県指定史跡「浜田城跡」で、天守閣に通じる門「二ノ門」の焼けた柱が見つかったと発表した。1866年の第2次幕長戦争で幕府軍側の浜田藩が長州藩に敗れた際、城を焼いた痕跡とみられる。城内から焼けた痕跡が見つかったのは初めてで、市教委は「史実を裏付ける貴重な発見だ」としている。

 市教委によると、柱は二ノ門の西側で地下50センチの焼土層から礎石(幅50センチ、奥行き40センチ以上)の上に炭化した状態で見つかった。門の裏側にあったもので、そばには石の階段も出土した。礎石は5・8メートル離れた東側にもあったが、柱の痕跡は無かった。

 焼土層からは19世紀中ごろの陶磁器片も出土しており、市教委は、年代も合致することから、焼土は幕長戦争の石州口の戦いの際に城を焼いた痕跡とみている。同時に鯱(しゃちほこ)や鬼瓦の破片も見つかったといい、二ノ門が絵図通りの位置と形状だったことも裏付けられたという。

 幕府軍は石州口の戦いで兵力が…

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