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 東京都千代田区の九段下交差点のそばにある昭和館は不思議な建物だ。地上7階建てなのに、周囲に溶け込み、意外と存在に気づかない。

 新元号が「令和」に決まった。時代は移るが、戦争で多くの死者を出した「昭和」の時代は重い。1935(昭和10)年ごろから55(同30)年ごろまで約20年間の国民生活の労苦に関する資料を収集・保存・展示し、後世に伝えることを目的とした国の施設だ。37年の日中戦争開始から太平洋戦争、敗戦と混乱、復興と激動が続いた時代だ。

仲代達矢さん「女の子の手、引き寄せた瞬間…」

 開館20周年記念でこの3月5日、昭和を代表する名優、仲代達矢さん(86)が映像で空襲体験などを語る特別上映会が開かれた。集団疎開から東京に戻った10代初めに遭遇した。「逃げていた女の子の手をつかみ、引き寄せた瞬間、目の前が真っ暗になり、気がつくとその子の手だけがあった。恐怖のあまり、その手を放り投げた」「胸の中には、常に小さいときに味わった戦争の苦しさがあります」

 昭和館は厚生労働省の委託で日本遺族会が運営する。常設展示室は7階が戦中、6階が戦後で、収蔵資料約6万点のうち約600点を展示。上映会後、この日見学した仲代さんに施設の感想を聞くと、「感動しました。僕も同じような経験をしましたから」。

 記者は、元教員で説明員の志田春一さん(70)=3月末で定年退職=の解説を受けながら見学した。まず、目に入ったのが、徴兵検査の合格通知と召集令状、いわゆる赤紙(複製)。出征する夫や息子の無事を祈る千人針。「武運長久」を祈る寄せ書き。

 時代を経てくすんでいたり、色鮮やかだったりと様々だ。日本の家族は元気かと、気遣う出征した兵士から届いたはがきも。いる場所が分からないよう、機密保持のため事前に墨が塗られている。

 太平洋戦争開始前後から生活の統制が強まり、梅干しだけの日の丸弁当や陶製アイロンなどが並ぶ。教育も軍国色が強まり「男子は一人残らず立派な軍人となることが求められました」と志田さん。防空壕(ごう)の体験コーナーもある。

玉音放送流れる仕掛け

 階段を下りる途中、踊り場に「昭和20年8月15日」の表示がある。ボタンを押すと約4分半、昭和天皇の玉音放送が流れる。全文とその現代語訳もパネルで読める。

 6階は戦後の苦しい暮らしの関連資料がある。戦争で夫や父親を失った遺族は、連合国軍総司令部(GHQ)の指令で恩給が打ち切られた(日本の独立後に復活)。一方で1956年度の経済白書は「もはや『戦後』ではない」と書く。「今の暮らしも、この20年余りの間の非常な苦労の上にあったことを感じ、知り、学んで欲しい」と志田さん。

 パンフレットや音声ガイド、新…

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