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 阪神・淡路大震災、東日本大震災、西日本豪雨……。平成の日本を襲った災害を振り返る展示が東京都港区芝大門1丁目の日本赤十字社で開かれている。70点以上の写真や救護記録から、いつどこで起きるか分からない災害、被災者支援に必要な物資などを、自分のこととして考えてほしいという思いがある。

 1995年の阪神大震災。発生から1年間で延べ138万人が駆けつけ、「ボランティア元年」とも言われた。展示では、焼け落ちた商店街の写真とともに、一度に80人分の米が炊ける大釜が置かれている。「ボランティアが炊き出しを担い、被災者の空腹を満たしました」。職員の説明に見学者が耳を傾けた。

 日本赤十字社は災害時、医師や看護師で編成する救護班を派遣し、救命活動にあたる。会場の時系列パネルで、91年の雲仙・普賢岳(長崎県)噴火をはじめ、昨年の北海道地震までを紹介するとともに、救護日誌や支援物資を並べている。救護・福祉部次長の白土直樹さん(50)は「災害で浮かび上がる課題に応じて、被災者支援のあり方を変えてきた」と説明する。

 阪神大震災では避難生活中に体調を崩して900人余が亡くなり、「震災関連死」もクローズアップされた。この教訓から避難所では被災者の体験や悩みをじっくり聞く心のケアにも取り組んだ。2004年の新潟県中越地震の展示では、不安げなお年寄りに手を添え、ほほえみかける職員の写真がある。

 車中泊などでエコノミークラス症候群が相次いだため、16年の熊本地震で配られた血栓を防ぐ効果のあるストッキングを展示。昨年の西日本豪雨や北海道地震で使われた段ボール製ベッドや、排泄(はいせつ)物がフィルムで密封され、捨てられる簡易トイレも並べられている。

 また東日本大震災の時、宮城県石巻市の看護専門学校生だった高橋聡子さん(28)の卒業式の答辞も展示されている。

 3月11日の大震災の出来事は頭に焼き付いて離れません。避難所で私たちは無我夢中で救護活動を行いました

 授業中に小学校に避難し、駆け込んでくる負傷者の手当てに追われた。

 教室で、津波でずぶ濡(ぬ)れの人たちに体操服を着せ、カーテンで体をくるんだ。震える人をさすり続け、泥だらけの床をふき、トイレからあふれた汚物をポリ袋で包んで捨てた。

 涙をこらえながら救護に臨んでいる仲間がいました。あの時、あの場に(仲間)全員がいたからこそ、乗り越えられた

 高橋さんは看護師になり、仙台で働く。「避難所では求められる支援が一人ひとり違う。今も、患者さんに必要なものは何かを考えながら行動している」と話した。

 展示は29日までの平日。問い合わせはメール(koho@jrc.or.jp)で。(桑原紀彦)