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 プロレスの「西の聖地」として数々の名勝負を繰り広げた福岡市の博多スターレーンが31日、約半世紀の歴史に幕を閉じる。大日本プロレスなど3団体が集結し、人気レスラーによる異例のトリプル興行で有終の美を飾る。

 「何としてもスターレーンの最後を我々で飾りたかった」というのは、DDTプロレスリング(東京)のレスラー大石真翔(まこと)さん(40)。DDTは閉館を知った昨年末、急きょ最終日の興行を決めた。

 この日は福島県伊達市で興行が入っていたが、終わり次第仙台へ移動し、空路福岡へ。いつもではあり得ないダブルヘッダーに。「静岡で過ごした子どものころから聖地で、若いころ初めて試合をした時はうれしかった。閉館には感慨深いものがある」

 「博多心残し」。こんな思い入れの強いタイトルの興行を企画した大日本プロレス(横浜市)も、ダブルヘッダーを敢行する。設立した1994年からスターレーンで試合をしてきた。「九州全域からお客様に来て頂き、雰囲気もいい会場。閉館は残念」と登坂栄児代表(48)は惜しむ。

 最終日は東京女子プロレスが初参戦。アジャ・コングさんや福岡出身の岩田美香さんも登場する。

 JR博多駅から徒歩3分の立地に博多スターレーンが開業したのは72年。白壁の8階建てのビルは展望エレベーターを備え、周りの池にコイが泳ぎ、当時は異彩を放っていた。

 「本業」は84レーンという九州最大級のボウリング場。だが新日本プロレス、全日本プロレス、NOAH、ドラゴンゲートと数々の団体が試合を重ね、東京の後楽園ホールに対して「西の聖地」と呼ばれるようになった。その名をプロレス史に刻んだ。

 試合会場は、普段は会議や商品説明会、試験会場に使われた2階のダイヤモンドホール。中央にリングを配し、最大約1800平方メートルのフラットな空間に1200人を収容する。

 博多スターレーン・展示会場の金子誠一部長(57)によると、年間約30興行を行ってきた。

 トップロープから繰り出す飛び技「フライングボディープレス」などができないと新日本プロレスから言われ、天井を4メートルから5・2メートル(リング部分は5・7メートル)に上げたのは86年。その後、スターレーン名物の後方席専用の「中イス」「大イス」ができた。通常のパイプイスより座高が高く、後方でも見やすいとファンから好評だった。

 「後片付けが大変」「会場が傷む」と電流爆破や有刺鉄線を使ったデスマッチを禁止する会場が多いが、スターレーンはOKだった。蛍光灯デスマッチ後に破片が飛び散っても「掃除すればいいですから」という金子さんのおおらかさもまた、聖地たるゆえんだ。

 天井を見上げると、血しぶきの…

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