3月26日に68歳で亡くなった俳優の萩原健一さんは生前、朝日新聞の取材に応じ、幼少期やテンプターズ時代、テレビドラマの撮影現場での思い出や、黒澤明監督の印象などについて語っていた。(2011年2月7~10日夕刊に掲載された連載「人生の贈りもの」から)

(人生の贈りもの)俳優・萩原健一さん

はぎわら・けんいち 1950年埼玉県生まれ。テンプターズを経て「約束」(斎藤耕一監督)、「青春の蹉跌」(神代辰巳監督)、「影武者」(黒澤明監督)など俳優業でも活躍。

 ――ご実家は埼玉・与野の鮮魚店で5人兄弟の末っ子と伺いました

 誕生日が7月26日。ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、映画監督のスタンリー・キューブリックと一緒です。キューブリックの映画は好きって言うか、あの人のすごいのは脚本を書き上げて、さあ、これを撮るためにはどういうカメラが必要か、そこから始めるでしょ。ろうそくの明かりだけで撮りたいからって、専用のカメラを作っちゃう。要するに、この誕生日の人は業が深いんです。

 兄弟は兄が2人、姉が2人。4人の父は大東亜戦争で戦死しました。僕が生まれたのは戦後だから、父が違うんです。認知はしていただいていませんが。僕は母が40歳のときの子です。家族はみんな、映画や音楽が大好きで、色んなものを見に連れていってもらいました。

 ――どんなものを見ましたか

 兄貴たちとはマーロン・ブランドの「乱暴者(あばれもの)」や「波止場」、邦画では片岡千恵蔵さんや阪妻(阪東妻三郎)さん。大友柳太朗さん主演の東映初のシネマスコープ、「鳳城の花嫁」っていうのも見たなあ。うちは与野と言ってもガードひとつ超えると(旧)大宮市の繁華街。それでも3本立てが多かった。東京の赤羽まで行くと映画も早く来るけど、大体2本立て。1本立てなんて、もう、贅沢(ぜいたく)の上の贅沢だった。姉2人は音楽好きで、上の姉はペリー・コモやシナトラも聞いていたけど、やっぱり一番はプレスリー。小学生のころ、日劇のウエスタン・カーニバルに連れて行ってもらいました。山下敬二郎さんが歌っていて、観客はみんな立って見てましたよ。僕はイスの背もたれの上にのっけられて見ました。

 ――どんな小学生でした

 僕の小学校がねえ、芸能リポー…

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