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 人間は発達した脳のお陰で、細かい手作業ができ、精緻(せいち)な言語を操り、抽象的な思考が出来ます。

 「時間」も抽象的な概念ではないでしょうか。時計を見てわかったような気がしていますが、時間は見ることも触ることもできません。この「時間」をある程度理解できてくるのは、人間では3歳以降であると考えられています。それ以前の子どもにとって「キノウ」、「アシタ」などの言葉を使いこなすことは難しいようです。

 70年以上も前に制作されたラブロマンス映画の名作「カサブランカ」をご存じでしょうか?

 ストーリーは忘れてしまいましたが、夜の酒場でハンフリー・ボガートが演ずる男(リック)とリックを誘う女性の会話が印象的でした。

 女性「昨日はなにしてたの?」

 リック「そんな昔のことは覚えていない」

 女性「今夜会える?」

 リック「そんな先のことは分からない」

 字にしてしまうと間抜けな感じですが、映画シーンの中ではハンフリー・ボガートのダンディズムが発揮される場面です。時間の認識という見方をすれば、2~3歳の幼児のようなことを言っているのですが、何とも粋なセリフです。

 過去の記憶や経験をもとに、時間に沿った未来予想図を描くには高度な脳が必要です。

 人間が約8千年前に農耕社会を成立させ、都市や文明を構築させていくのは時間への認識の深化と未来予測が必要でした。ごく短い先を予想できる動物はいても、年単位で将来を予測し、計画を立てることができるのは人間だけのように思われます。

 一方、細菌やウイルスはその瞬間を生きているように見えます。「よりよく生きる」ことを考え、未来を予見しながら生活している人間とは対照的です。しかし、原始的だからと言って細菌やウイルスを侮ってはいけません。細菌やウイルスは長い生命の歴史を生き抜くうちに、生命をつなぐための様々な能力を獲得してきました。

 細菌は、人間が作った抗菌薬で一時的にやられても、やがて抗菌薬に対抗する力を得て復活します。抗菌薬は感染症治療の重要な手段ですが、これだけに頼った治療には、限界がありそうです。我々人類が生命の歴史の中で獲得した免疫力を弱めてしまわないように、普段から生活や体調の管理を心がけたいものです。

 ウイルス感染には抗菌薬は効きませんが、あらかじめワクチンを打っておくことで予防が可能なウイルスもあります。ワクチン接種の普及によって世界から根絶されたウイルスに天然痘ウイルスがあります。

 人類のみに感染する天然痘ウイルスは、人類の繁栄とともに世界に拡散しました。しかし、人類にしか感染しないということが逆に弱点となってワクチン普及に伴って根絶されたのです。

 いま世界は、麻疹ウイルスの根絶を目指しています。人類の大部分が麻疹に対する免疫をつければ、麻疹ウイルスは増殖・拡散ができなくなり、近い将来に根絶することができると考えられています。

 ジョン・レノンは、1971年に発表した名曲「イマジン」で、思想の違いや国境がない平和な世界を描きました。現実には、世界は紛争や貧困など多くの問題を抱えていますが、感染症対策には国境があってはなりません。

 人類と感染症の闘いには、長期予想に基づいた綿密で不断の努力が必要です。ハンフリー・ボガートのセリフとは対極にある世界なのです。

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「今こそ知りたい! 感染症の予防と治療」は今回で終了します。次のシリーズは「男性も必読! 産婦人科医が語る女性の一生」です。

 

<アピタル:弘前大学企画・今こそ知りたい! 感染症の予防と治療>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/hirosaki/(弘前大学大学院医学研究科臨床検査医学講座教授 萱場広之)