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 1989年春の東邦優勝に始まり、東邦の優勝で終わった平成の甲子園大会。春夏合わせて61大会で、最多優勝は大阪桐蔭の8度(春3、夏5)だった。

 「おーい1年生、まだそんなに長い距離は投げなくていい。もっと距離を縮めて、しっかり投げよう」。桐蔭のグラウンドに西谷浩一監督の声が響いた。

 新元号が「令和」と発表された1日、20人の新入生が練習に初参加していた。皆、早く良いところを見せたくて必死だ。監督は「早く見てやりたいけど、僕がいくと張り切りすぎるから」と、その姿を遠目に眺めるだけだった。

 主将の中野波来(はる)は言う。「62人になった部員をまとめて、夏にマックスの状態に持っていきたい。つなぎ役となる2年生の存在が大事になると思います」

 昨夏の全国制覇から半年あまりが過ぎた。この春は出場を逃し、中野と副主将の宮本涼太の2人だけが、優勝旗返還のために開会式に参加した。

 「2人で歩くのは、めちゃめちゃ寂しかったです」と中野は苦笑いする。兵庫・明石ボーイズの出身。今大会4強の明石商には、二塁手として出場した清水良ら、中学時代の仲間が数人いる。

 3月31日は練習を終えて寮に戻ると、準々決勝の明石商―智弁和歌山がテレビに映っていた。食事をしながら、サヨナラ弾で明石商が勝つのを見て、「改めて甲子園に出たいと思ったし、悔しかった」。

 憧れの地で戦う友の姿に刺激された球児は全国に大勢いるだろう。令和最初の夏へ。3学年の力を結集するこの数カ月で、どのチームも大きく成長できるチャンスがある。(山口史朗