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 春になると、毎朝数人の医学生が私のオフィスにやってきます。医学教育課程の仕上げに入っている6年次の学生が、晩秋までの数カ月間、1カ月交代でやってくるのです。

 毎朝1時間ほど英文の学術誌に投稿された感染症関連の記事を声に出して読んでもらいます。「立て板に水」の学生もいれば、1語1語なぞるように読む学生まで様々です。内容はほとんどが患者の病像について記載したもので、私たちが症例報告(Case Report)と呼んでいるものです。

 学術誌への報告対象になるくらいですから、あまりにもありふれた内容の症例が記事として掲載されることはありません。読み手の参考になる、何がしかの情報を含んでいる記事が掲載されています。

 少し前に読んだ文献にアメリカの少年の話が出てきました。

 少年は、発熱とせきで救急外来を受診しました。普通の風邪のような症状ですが、勘のいい医者だったのでしょうか、胸部X線写真を撮影することにしました。写真では肺に影が広がっていました。少年の容体は時間とともに急激に悪化し、集中治療室に移されます。

 血液検査、たんの検査などが治療と並行して進められました。治療といっても、肺に広がる影の原因が不明ですので、敵をピンポイントでねらう治療はできません。検査を進めながらだんだんと的を絞り込んでいき、最適な治療へと持っていくのです。

 感染の原因がありふれた病気の場合は、比較的順調に診断することができて、有効な薬が必ず含まれるように治療が計画されます。しかし、めったにない病気では、なかなか適切な治療に至らず、病原体が判明する前に命を落とす可能性もあるのです。この少年は、幸い原因が突き止められ、ネズミなどから感染するレプトスピラという菌によって引き起こされた感染症であることがわかりました。

 レプトスピラ症の感染源は菌に汚染されたネズミの尿や血液などです。感染後1~2週間の潜伏期の後に、発熱や頭痛、筋肉痛、のどの痛みやせきなど、ありふれた症状で発症します。軽い風邪のような症状で収まってしまうこともありますし、黄疸(おうだん)や出血、肺出血、消化器、腎障害を起こして重症化する場合もあります。治療はペニシリンなどで行いますが、早期に適切な治療がない場合は20~30%が死亡するとされています。

 治療を受けた少年は回復に向かいます。少年から聞いた話によると、街で警官に追いかけられ、不潔な路地裏に逃げ込んだときに水たまりで転倒して足をすりむいてしまったことがわかりました。不潔な路地裏にはネズミが暮らしています。ネズミの尿などが混じった水たまりもあることでしょう。こんな、一見関連のなさそうな出来事も、後になると見事に線でつながるところは、推理小説のようでもあります。

 医学生の教育では一生に一度診るかどうかという疾患の教育にも結構時間を割きます。ありふれた疾患は医師になってからいくらでも経験できるのですが、珍しい病気はあえて勉強しなければ診断の時に思いもつかないからです。

 これらの症例報告を読むにつけ、患者さんの生い立ちや生活の様子、職業など、人間として暮らしている様々な状況を知ることが診断の手掛かりになっていることがわかります。

 患者さんと医師、紹介元の医師と紹介先の医師同士など、場面に応じたコミュニケーションの重要性を改めて感じさせられます。学生との短い時間ですが、私にとって「へえー」と思うことができる貴重な時間となっています。

<アピタル:弘前大学企画・今こそ知りたい! 感染症の予防と治療>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/hirosaki/(弘前大学大学院医学研究科臨床検査医学講座教授 萱場広之)