東農大二高の監督として春夏通じて6度の甲子園出場に導いた斎藤章児さんが4日、急逝した。79歳だった。死因は脳出血とみられる。通夜は6日午後6時、告別式は7日午後0時半から群馬県高崎市下之城町650の下之城プリエッセ。喪主は妻偕子(ともこ)さん。自宅は同市江木町。

 1967年に東農大二高の監督に就任した斎藤さんが初めて甲子園の土を踏んだのは80年春の選抜大会だった。当時の主将でエースだった元プロ野球・ヤクルトの高仁秀治さん(56)の野球指導には、いまも斎藤さんが大事にした「心のキャッチボール」という言葉が生きる。

 選手個人やチームの性格や特徴を見抜き、高仁さんたちのチームが負けず嫌いと見ると、あえて厳しい言葉を投げかけた。「『やってやろうじゃないか』と、気持ちに火をつけられました。相手への目配り、気配りが大切と教わりました」

 斎藤さんは99年までの27年間で春2回、夏4回の甲子園出場を果たし、その後は4年間母校・立教大の監督も務めた。退任後も、野球解説などの活動に積極的に取り組んでいたが、11年に野球教室でつまずき、頸椎(けいつい)を損傷。首から下が動かなくなり、晩年は車イスでの生活が続いた。

 妻偕子さんによると、訪問リハビリなどを利用して、トレーニングを重ね、文字を書いたり、食事したりすることができるようになっていた。東農大二高のグラウンドにも足を運び、指導に情熱を燃やしていた。立教大の先輩で、脳梗塞(こうそく)を患った長嶋茂雄さんの姿も励みにしていたという。

 亡くなる前日は、選抜大会決勝を自宅で観戦。夏の評論活動に向けて情報収集していたという。偕子さんは「野球から離れられない人でした。今は車イスから降りてグラウンドを走り回っているのではないでしょうか」と話した。(森岡航平)

野球への情熱 引き継ぎたい

 親交があった利根商業高の福田治男監督の話 一球一球のキャッチボールに心を込めるなど、基本を重視する斎藤さんの姿に多くのことを学びました。4月から利根商の監督をすると報告したら、「私立を倒せるように頑張って」と励まされました。斎藤さんの野球に対する情熱を引き継いでいきたい。