生活保護45歳「携帯が命綱」 逃亡生活のような人生

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角拓哉
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ロスジェネはいま

 さいたま市のシェルターに3月、ロストジェネレーションの男性が身を寄せた。派遣切り、ネットカフェ暮らし、ブラックな職場。心も体も限界に達したという。

 小原秀之さん(45)。都心に近い東京の下町で育った。祖母が持っていた自宅は3階建て。1階は美容室を営む親族に貸して家賃収入があった。4階建てのアパートもあった。

 バブル全盛の1989年に中学を卒業した。勉強は好きではなかった。進学しても「どうせ辞めるだろう」と思い、伯父が経営する都心の飲食店で働いた。父親も反対しなかった。「うちは不動産があるから安心だ」と言ったのを覚えている。

 「仕事というより、手伝いに来たという感じでした。最初は時給1千円という話だったけど、たまに小遣いで1万もらうくらい。でも、父親の兄のお店だし、仕方ないのかなって」

 働き始めて3年半。給料がまともにもらえないことを不満に思い辞めた。

 20歳のころ。東京・新橋のパチンコ店で働き始めた。日本は「失われた20年」と呼ばれる低迷期に入り始めていたが、パチンコ業界は元気なように見えた。

 最初は日給8千円。5年ほどで、店長に次ぐ主任となり、手取りは35万円になった。

 「店長は怒るとおっかないけど、あったかい人だった。入ったばっかりのころ、『なにか一つでいいから目標をもちなさい』と言ってくれました。お金の管理とか、パチスロの設定とか任せてくれて、やりがいがありましたね」

 だが、やがて店長は定年退職。新しく来た店長とはそりが合わなかった。人事で冷遇されるなど理不尽に感じることもあり、11年働いた店を去った。00年代前半、就職氷河期のまっただ中だった。

就職氷河期に社会に出た世代に、「ロストジェネレーション」と名付けたのは、朝日新聞です。40歳前後となったロスジェネは今も不安定雇用や孤立に向き合っています。生き方を模索する姿を伝え、ともに未来を考えます。

 ここから転落が始まった…

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