文・潮智史
日本サッカーにとって、平成は激動の時代だった。Jリーグが始まり、1998年に初出場したW杯のいまや常連国だ。昭和の時代にブラジルでプロ契約を結んだカズは、平成のJリーグ発足時からプレーするただひとりの選手としてひた走ってきた。その動きはサッカー界を先取りしていたように見える。プロ34年目の52歳はどこをめざしているのか。
日課だった居残りのシュート練習をここ数年でやらなくなった。
「もっとやりたい気持ちを抑えることも覚えた。90分出る準備をするのは最低限。でも全試合ではできない。衰えや出番のない状況とも折り合いをつけてきた。それも経験と年月でしょう」
高校を中退し、15歳でブラジルに渡ったのは昭和57年の1982年。86年に現地の名門クラブとプロ契約し、平成2年の90年に帰国。93年にJリーグが始まり、日本はワールドカップの常連国になった。プロ34年目のカズの歩みはサッカー界の開拓者そのものだ。
J2横浜FCで出番は減ってきた。Jリーグで重ねたのは計569試合163得点。1分でも出場するたびに自らの最年長記録を更新するが「記録に興味はない」。「あの年で走れるのはすごい」といわれるのも「嫌だ」という。
「大切なのはどんな情熱をもって試合に臨んでいるか。毎日の練習で競い合って、納得してメンバーから外される、納得して試合に出る。それを続けていくことが重要。練習で10代の若手にがつがつこられても、そういう場にいられることがたまらなく楽しい」
トレーニング方法も毎年変化させ、プレーも極めてシンプルになったが、変わらないものもある。
「うまくなりたいという欲が衰えない。選手以外にやりたいことはなにもない」(文・潮智史)
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