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 「消えた世界宗教」として知られるマニ教の創始者マニ(216年ごろ~276年ごろ)を描いた絵画が、奈良国立博物館(奈良市)で開催中の「国宝の殿堂 藤田美術館展」(朝日新聞社など主催)で公開されている。大阪の実業家が収集してきた美術品を公開するためにつくられた藤田美術館が所蔵するが、「地蔵菩薩(ぼさつ)像」とされ、長年収蔵庫に眠っていた。近年の研究でマニ像と確認された。13~14世紀の中国で描かれたとみられるが、いつ、どのようにして日本に伝わったのかなど多くの謎に包まれている。

 奈良博などによれば、絹地に鮮やかな彩色が施され、縦約183センチ、横約68センチ。複数の段を持つ台座の上に置かれた蓮台(れんだい)に、特徴的な白い大衣を羽織って座り、右手は胸の前で手のひらを見せ、左手は腹の前で衣の裾を取っている。大衣には赤と金色の縁取りがあり、白色地に金泥で文様などが表現される。台座に複数の走る獅子や、楽器を演奏する女性の「楽人」などの表現もあるが、台座の形式や服装、文様などからは仏画の影響が色濃いとされる。

 13~14世紀ごろの元~明代に中国沿海部の江南地方(現在の浙江省や福建省など)で描かれたとみられる。美術館の記録では「地蔵菩薩像」とされ、室町時代の作とみられる普賢菩薩像と文殊菩薩像と一緒の箱に収められていた。

 1937年の美術誌「国華」に「宋画道像」としてモノクロ写真が掲載されたことがある。数年前、吉田豊・京都大学教授(言語学)らの研究グループが、両肩と両ひざのあたりに描かれた四角形の文様などがマニ教の絵画の特徴とみて、マニ像と指摘。このほど吉田さんらが奈良国立博物館で実物を見て、マニ像であることを確認した。吉田さんは「近年の研究で、日本に伝来した元~明の江南で制作された仏教絵画の中に、マニ教の絵画が複数存在していたことが分かってきた。マニ教絵画は海外でも限られ、大変貴重な作品だ」と話す。

 森安孝夫・大阪大学名誉教授(中央アジア史)によれば、マニ教は、メソポタミアで生まれたイラン人のマニが3世紀に創始し、キリスト教に基づき、ゾロアスター教や仏教、ジャイナ教などの思想をとりいれた二元論的折衷宗教。ローマ帝国ではマニ教が先に入ったキリスト教を追い上げ、4~5世紀に最盛期を迎えた。マニ教の思想はキリスト教諸派の中で中世まで生き延び、欧州社会にも影響を与えた。

 一方、シルクロード交易に活躍したソグド人などの仲介で東方に伝播(でんぱ)したマニ教は、8~9世紀に内陸アジアを支配したウイグル帝国の国教になり、唐帝国にマニ教寺院の建設を要請する。だが、9世紀の唐代に「会昌(かいしょう)の廃仏」と呼ばれる仏教弾圧が起こり、マニ教も弾圧される。一部が江南に逃れ流行したが、南宋時代には邪教として弾圧され秘密結社的に生き残った。森安さんは「宗教に寛容だったモンゴル人支配の元朝で、マニ教徒がマニ像などの制作をおおっぴらに仏画工房に注文したのだろう」と話す。

 展示は5月12日まで。問い合わせは奈良国立博物館のハローダイヤル(050・5542・8600)へ。(塚本和人)